桜雨の日々に
音もなく静かに降る雨が、窓に映る景色をうっすらと白く煙らせている。本来ならもう少し先の季節にこそ似つかわしいだろうその光景は、時季外れだというのにここ数日ずっと続いていた。
「止まねーなぁ」
これでは外に出かけることもできないし、昼間でも上がらない気温が肌寒い上にじめじめと湿気って鬱陶しい。いい加減うんざりして深々と溜息をついた途端、背後からくすりと笑う声が聞こえた。
「……なーんで笑うのよ」
不満を露わにして振り向くと、予想通り、呆れ顔で笑うしいなの姿がある。卓袱台の上にずらりと符を並べ、何やら整理しているらしい彼女は、目が合うとふっと苦笑してみせた。その笑顔がとても柔らかかったから、少しだけ毒気を抜かれた格好になる。
「あんたが子供みたいにふて腐れてるからさ」
「えー、何よソレ。俺さまをガキ扱いするなっつーの」
言いながらつい唇を尖らせたが、やってからしまったと後悔した。その仕草はまさに子供じみていて、案の定、彼女は耐えかねたようにぷっと吹き出す。
「だって子供じゃないか。雨続きで外に遊びに行けなくて、暇を持て余してる子供そのまんまだよ」
そうすっぱりと言い切られてしまうと、反論する言葉が見つからなかった。仕方なく黙って膨れていると、くすくすと更に笑われる。
「これが済んだら相手したげるから、もうちょっと我慢してな」
「はーい……」
駄々を捏ねて更にガキ臭いと思われるのも癪だから、素直に頷いてまた外を見た。相変わらず雨は降り止まず、庭の緑は薄白い靄に覆われている。折角開いたばかりの桜の花も、この長雨に打たれ続けて、随分と色褪せてしまったように思われた。ああ、これじゃ今年は花見もできやしないな。
「止まねーなぁ、ほんと」
このままずっと降ってんじゃねーのかと、呟いた声が聞こえていたらしく。背後でまた密やかな忍び笑いが僅かに漏れて、それから穏やかな調子の声がかかる。
「大丈夫。ちゃんと止むよ」
「そーかぁ? 梅雨のときなんてずーっと降りっぱなしで止まないじゃん」
「梅雨だって時季が過ぎればいつかは終わるさ。それでやっと夏が来るんだから」
「まぁ、そーだけどー……」
かたん、と物音。きっと作業を終えたしいなが、卓袱台に手をつき立ち上がる音だ。
「だからこの雨も止むよ。それが今日か明日か、それとも明後日かはわからないけど」
さすが隠密、足音はしない。ただ隠すつもりのない気配だけが近づいて、すぐ真後ろでぴたりと止まる。
「止まない雨はないし、明けない夜もない。そういうもんだろ?」
ゆっくりと振り向き、その顔を見上げる。そこにあるのは穏やかな笑顔。
「……そーね。そーゆーもんかもね」
我ながらなんとも現金な話だった。でも彼女がそう言うのなら信じられる、それが嘘も隠しもない素直な感情だ。お互いに長く嵐の中を、或いは先の見えない闇の中を。手探りで歩き続けたその果てに、ささやかでも幸福と呼べる今があるのだから。
「なぁしいな、この雨止んだら花見行こうぜ」
そうだ、最初から諦めてしまっていては始まらない。そんな風に思えるくらいには、いつの間にやら前向きになれた。それはきっと悪い変化ではないだろうから、彼女だって笑ってくれるだろう。
「はいよ。それで弁当作れってんだろ」
「そうそう、んで酒もね」
「昼間っから飲む気かい?」
「えー、いいじゃんたまにはー」
あからさまに呆れたような台詞にはしかし、咎める色は見受けられない。だから反省はまるでせず、へらへらと笑っていたらぺちんと頭をはたかれた。
「あてっ」
本当に痛いからというよりほとんど反射で、大仰な動作で頭を抱える。途端、ばーか、とお馴染みの言葉が飛んできた。
「そんなに強く叩いちゃいないよ」
「あ、ばれた?」
「当たり前だろ」
ふふん、と得意げに胸を張ってもう一度。
「ばぁか」
言う声も笑顔も柔らかいそれは、罵倒とはとても思えないほどに優しくて、甘い。
- 2011/04/17