You're mine!
綺麗さっぱりナンパをやめても、その称号の前に『元』がついても。美貌の神子さまの人気は未だ衰える気配も見せず、ファンを称する女たちの数はむしろ、若干ながら増えた気がする。
「……またやってる」
家人以外にただひとり、あたしだけが立ち入ることを許された部屋の窓辺から。眼下に見下ろした風景の中、きゃあきゃあと小うるさく騒ぐ集団があった。その中心にいるのは言うまでもなく、この部屋の主であり、そして――あたしの、まあ所謂、恋人とかいう立場にいる男で。
これがでれでれと鼻の下を伸ばして喜んでいるのなら、即座にここから飛び降りて蹴りのひとつもくれてやるところなのだが(だって殴るだけなんて甘すぎるじゃないか)、生憎と漏れ聞こえてくるその台詞は、どれもこれも柔らかいながらもきっぱりとしたお断りばかり。よくもまあこれだけの数の相手を全て、怒らせず誤解もさせずにさくさく断れるものだと感心する。あれほど派手に遊んでいたのに、それなりに覚悟もしていたのに、あいつとつきあい始めてからというもの、『あたしというものがありながら』なんて柄にもない台詞を言うべき状況になったことは未だにただの一度もなかった。
「まあ、だからって気にならないわけじゃないけどサ……」
信用、していないわけじゃない。ちゃんと愛されているとも思う。そんなこと考えるだけで恥ずかしくて、埋まりたくなってしまうけれど。お決まりの美辞麗句の一切を省いて簡潔に、囁かれる睦言に込められた誠実さはあたしだって十分わかっている。だけど、それでも。
「遊ぼうと思えば、いくらでも――」
どんな相手でも、よりどりみどり。
たとえばひどい喧嘩をしたとき。仕事ばかりで長く会えないとき。遊び慣れた彼はきっと、用さえ済めば後腐れなくさっと手を引く方法なんていくらでも心得ていて、そして彼になら一夜限りの遊び相手でも、喜んで務めようという女もまた掃いて捨てるほどいるに違いない。四六時中一緒にいることなど不可能だから、不安にならないわけはなかった。もしかしたらと思う度、心は騒ぐ。締めつけられたように苦しくなる。
「おーい、しいなー」
「……え、あっ」
気がつけば、眼下の人集りがすっかり消えていた。たったひとりその場に残った長身の影が、まっすぐにこちらを見上げてひらひらと手を振る。
「今そっち戻るから。待ってろよ」
言ってさっさと歩き出し、すぐ側の扉を開いてその中に消えた。彼にとっては勝手知ったる自分の家、一分と経たずにこの部屋までやってくるだろう。なんてことをぼんやり思ううちにもう、とんとんと階段を上がってくる足音が聞こえる。リズミカルに刻まれる、その足取りはとても軽い。
「しいな、お待たせー!」
ノックもなくがちゃりと扉を開けながら、かけられた言葉にゆるりと振り向く。予想通り、その表情はこれ以上ないほどの満面の笑みだった。こちらが何か言うより早く、つかつかと歩み寄ってきて両手を伸べる。その手の示すところは明快で、普段なら軽く無視してやるのだけど。
「……待ってた」
なんとなく、ぽすんとそこに収まってみた。彼はちょっと面食らったようだったが、すぐに嬉しげに破顔して、両腕を腰に巻きつけてくる。
「なによ、今日は随分素直じゃねーの。俺さま嬉しー」
だらしなく緩んだ声で言いながら、すりすりと頬摺りしてくる姿はきっと、彼に熱狂する女たちの想像もつかないものだろう。それを知っているのはあたしだけ。
「ね、ちゅーしていい?」
「……か、勝手にしなっ」
「じゃあ勝手にするー」
言うなり早くも唇を塞がれ、穏やかな熱が何度も触れる。そのあたたかさを知る者は他にいくらもいたのだろう。けれどうっすらと開けた目が合ったとき、そのみずいろがどんなに柔らかく微笑むか――またどんなに幸せそうに蕩けるかまで、知っているのはあたしだけのはずだと自惚れていたい。
「しいな、好き。だいすき。愛してる」
並べられたのはあたしの名前と、いっそ稚拙なほどの愛の言葉。でもそれが紛れもない本物だと、あたしはちゃんと知っている。
「世界で、いちばん?」
我ながら馬鹿げた問いだと苦笑混じりに、それでも小さく呟いてみた。
「あったりまえでしょー?」
聞くまでもないことのように言われて、自然くすりと笑みが漏れる。最初から、きっとそう答えるってわかってた。
――ほんと、お生憎さまってところだね。
労せずともすぐに思い出せる、常連の数人の顔を脳裏にぷかりと浮かべながら。
――あんたたちがどんなにラブコールを送っても、残念ながらこいつの一番はあたしらしいよ?
ささやかに覚えた優越感は、ちょっと意地悪かもしれないけれど。たまにはそれくらい許されるよねと、密かに微笑んでぎゅっと抱きついた。
- 2010/10/24