紅匂

「はいこれ、あげる」
 そんな軽い一言とともに、手の中に落とされたのは細長い木の箱だった。赤い紐が蝶結びにされたその箱の、真っ白で美しい木目を一目見れば、すぐに桐製だと窺い知れる。となれば当然、中に収められているものも、相応に値の張る品なのだろう。
「これって……」
 相手は生まれついての貴族さまだから、高価なものであろうとなんだろうと、平気な顔でぽんと贈ってよこすというのはよくある話。だからそれは別に、今更どうということもないのだが。
「メルトキオで買ったものじゃない、よねぇ?」
「あ、やっぱりわかるー?」
「そりゃあねえ。どう見てもミズホの品としか思えないし」
 メルトキオでは、桐材の外箱なんてものはあまり見かけない。ましてやそれを結び止めている紐に至っては、ミズホ伝統の繊細な組紐細工に他ならないのだから。となれば当然、これはミズホで買い求めたものとみるのが普通であろう。
「こないだ顔見に来たとき、おまえいなかったから。そのまま帰るのもなんだかなーってことで、ちょっとぶらぶらしてったのよ」
 そのときに可愛かったから買っておいたのと、言われてなるほどと納得した。そういえば先日、不在の間に客が来ていたと言われていたっけ。
「開けていいかい?」
 中身がミズホのものだと言われると、一体何だろうと気になった。どうぞどうぞと言われるままに、紐を解いて箱の上蓋を上げる。その中に入っていたものは――。
「筆……だね」
「そ、筆。かわいーでしょー?」
 何であるかは見ての通り。女性用の細身の筆、艶やかな紅色の漆塗りに蒔絵の施された軸がとても美しい、けれど。
「えっと、その、これは……」
 なんと答えたものだろうかと、迷ってつい言葉に詰まった。だってこれは、この色は。
「……気に入らなかった?」
「えっ、いや、そういうわけじゃ――!」
 僅かに口籠もっているその間に、しゅんと眉尻を下げて覗き込まれて。慌てて違うと首を振ったが、不自然に思われたのは間違いない。実際、我ながら呆れるくらいあからさまに、声が裏返ってしまっていたから。
「おまえ、花好きだからこういうのいいかなと思ったんだけど……」
 好きじゃなかったかなと問う表情が、物凄くしょんぼりと気落ちした風で。そういうつもりじゃなかったのにと、焦る心ばかりが強くなる。
「好き、好きだよ勿論! 桜好きだし、この模様すごく綺麗だし! だから気に入ったんだけど、すごくいいんだけどただこの色が……っ!」
「……この赤、きらい?」
「き、嫌いじゃない、そんなことないよだから、あーもー!」
 赤は全然嫌いじゃない、むしろその紅色はあんたの髪みたいで綺麗だと思う。だから嬉しい、とても嬉しいんだけどでも、その色の持つ意味を考えたら。
「しーいなー……? どーしちゃったのよ、なんか変よ?」
 わけがわからないと言いたげに、首を傾げて言うゼロス。彼の言うことはわからないでもない、だって彼はそんなこときっと知らないのだから。ああでもそれならば始めから、こんなに慌てることもなかったのだけど――。
「あ、ああ、うん。大丈夫、もう大丈夫だから……」
「……ふーん?」
 こういうとき、いつもなら面白そうに突っ込んでくるのが常なのに。今日は何故だか珍しく、素直に口を噤んでくれた。情けなくも赤くなった顔を片手で覆い、さりげなく視線を外しつつほっと息をつく。
「なぁ、しいな」
「なんだい……?」
「赤い筆って、なんか謂われでもあんの?」
「へっ!?」
 別にからかう風でもなく、小憎らしくにやついているわけでもなく。至極自然に、ただ純粋に疑問だからだというように。聞かれたのがあまりに不意打ちすぎて、素っ頓狂な声が出た。
「気に入らないわけじゃないけど、でもこの色が問題なんだろ? っつーことは赤い筆自体になんか焦るような意味があんのかなって思ったんだけど」
「あ、ぅ、その……それはぁ……」
 言いたくないなら無理にとは言わないけど、なんて。妙に物分かりよく言われたら、かえって隠しておきづらい。当人にその気はないのだろうが、これは怒れない分かえって質が悪い。
「……赤じゃなくて、くれない、だよ」
「くれない? ああ、この色の名前?」
「そうだよ。紅の筆、っていうのはね……」

 それはミズホに伝わる古い話。
 軸の紅い筆は女性が好んで用いるものだった。そしてその昔、女性が綴る手紙といえば、愛しい男へ宛てる恋文。だからいつしかそれが転じて、筆そのものが恋文を表す語となった――。

「なるほどねぇ」
 消え入りそうな細い声で、やっとその説明をし終えたら。彼はやっぱりからかいもせず、爽やかに微笑んでじゃあと続けた。
「その筆で、俺さまにラブレター書いてくれる?」
「……気が、向いたら、ね……」
 途切れ途切れの弱々しい言葉、でも精一杯虚勢を張ったつもりだったのに。
「期待しとく」
 ぽんと頭に手を乗せられて、ああ敵わないなと思い知らされた。

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