櫻帰
はらりはらり。
舞い散る白い花弁たちの、眺めのなんと美しいことか。
「自然の景色を楽しむっつーことに関しては、ミズホの文化は飛び抜けてるな」
確かお猪口とか呼ばれていた、小さな器にしいなが酒を注いでくれる。どーも、と礼を述べてから、それをくいっと一息に呷った。ミズホ特産の和誉の味は、こうして飲む機会が増えてからというもの、いつの間にか随分気に入っていた。
「毎日メルトキオの喧噪の中にいたんじゃ、草木の色なんて見る余裕もなくなっちまうだろうからね」
「そーかもなー。貴族街はどこの庭園もそれなりだけど、あれは自然そのままってモンじゃないしな」
かく言う我が家の庭もそう。専属の庭師たちが日々丹精込めて手入れしている花々は、どの季節にも美しいが人の手で作られた故の脆さがある。繊細な生きた芸術品には、原野に根を下ろし逞しく育つ野草の雄大さなど望むべくもない。
「まあでも、あたしはあれはあれで好きだけどね」
「おまえは花ならなんでも好きだもんな」
「なんでもとは言ってくれるじゃないか。いくらなんでも、食虫植物なんかは好きじゃないよ」
極端なたとえに笑いつつ、そりゃそうだなと同意した。あれはちょっと、身近に置いて愛でたい花とは呼べないものだし。
「自然そのままじゃなくたってさ、どの花も一生懸命生きてるんだから。みんな綺麗でいいんだよ」
温室咲きの華やかな薔薇も、道端に生えた蒲公英も。みんな綺麗だという彼女はきっと、野に咲いた可憐な花なのだろう。引き比べて自分はといえば、どう贔屓目に見ても過保護に管理されて育った交雑種。間違いなく棘だらけの茎であろうから、そう簡単には触れまい。
「一生懸命生きてる、か」
本来は相容れないものなのだろうけど。
彼女が認めてくれるならば、大人しく愛でられてやってもいいかもしれない。
「じゃあつまり、この桜も目一杯頑張って咲いてるってことか」
片手を後方について背を伸ばし、頭上に広がる枝を見上げる。樹齢数百年に及ぶという、ミズホでも随一の古木は枝振りもよく、その広く伸びた枝いっぱいに重たげに花をつけている。ちょうど今が盛りの花見時、風に揺れる度ひらひらと舞う花吹雪を、目で追う先には微笑む恋人。
「しいな、髪」
「え?」
「ほら。花弁、ついてる」
お猪口を置いて伸ばした手の、親指と人差し指とで摘む一片。柔らかな白の中にほんの僅か、赤みの差したその色合いは桜色。この花の名を冠した控えめな色は、実物を知る者ならば誰もが納得する呼称だろう。
「ありがと」
「どーいたしまして」
少しはにかんで笑う彼女の頬も、ほら。
同じ桜の色をしている。
- 2010/04/24