家族になる為のFirst Step

「ただいま帰りましたわ、お兄さま。……あら」
 漸く馴染んできたばかりの、新しく我が家となった屋敷に入るなり、見慣れぬ人影を見つけて眉を顰めた。実際には既に幾度となく引き合わされていて、当然見知った相手であるのだけれど、未だその存在を容認するまでには至っていない。
「おう、おかえり妹よ」
「悪いね、邪魔してるよ」
 だらしなくにやけた顔で言う兄にだけ、会釈してその傍らの女の方は無視をした。淑女として礼儀に適った対応ではない、承知の上だがそれでもまだ歓迎はできないのだ。
「……相変わらず嫌われちまってるねぇ」
「こらこらセレス、お兄さまの客に対してその対応はないんでないのー?」
 妹の可愛い嫉妬だと、半ば嬉しい気もあるのだろう。咎めているのは言葉だけで、声も表情もすっかり緩みきっている。この女が来ている時の兄はいつもそうだ。私の大好きな兄ではなく、形式張った神子でもなく、ただの腑抜けた男に成り下がる。苦笑する恋人へのフォローは腰を抱く腕一本で、さりげなく距離を取ろうとするのを許さずに逆に引き寄せている。
「知りませんわ。私のお兄さまはそんな風にへらへらと浮ついた顔などなさいませんもの」
 わざとらしくつんと横を向き、つれない答えで不機嫌を示す。さすがに窘めようとしたのだろう、少しばかり真面目な表情に切り替えて何やら口を開きかけたのを、横合いから女が手で制した。
「やめなよ、ゼロス。あたしのことなら別に構いやしないからさ」
「いや、それとこれとは話が違うだろ? 俺さまは兄として妹に注意をだなぁ」
「だからいいってば、それに用も済んだんだからもう帰るよ」
「えぇ、なんでよ? 今日は泊まっていけるんじゃねーの!?」
「妹の前でそういうことを言うんじゃないよ! あたしだってそう暇じゃないんだ、早く帰れば帰ったでやることはいくらもあるんだよ」
「おいおい待てよ、半月ぶりに会ったってのにそれはないでしょー? もう少しゆっくりしてってちょーだいよ、せめて夕飯くらいは一緒に」
 薄情な兄はさっさと帰り支度を始めた恋人を引き留めるのに必死なようで、目の前の妹への注意とやらも吹き飛んだらしい。そもそもいくら親しくとも、婚約もしていない異性を家に泊めるの泊めないのなんて話は妹の面前で言うことではない。彼女の意見に同意するのは癪だけれども、こればかりは兄を庇えない。
「お兄さま」
 ひとつ溜息を吐いてから、静かに冷ややかに呼びかける。途端、面白いほどにぴたりと静止する兄の姿を正面に見据え、棘のある言葉を吐き出した。
「お兄さまが誰と何をなさろうと構いませんわ。でも私は、自分の家に家族以外の人間が我が物顔で出入りするのは不愉快ですの」
 今度こそわかりやすくはっきりと、兄の表情が硬くなる。
「セレス……おまえ、」
「ゼロス」
 しかし言いかけた言葉を遮って、兄の名を呼んだのはその恋人。視線だけでなされた会話の後、小さく首を振り微笑んでみせる。
「セレスの言うことももっともだよ。こっちに引っ越してきたばかりなのに、度々気を遣う他人が訪ねてきたんじゃ落ち着かないさ。邪魔しちまって悪かったね、今日はもうお暇するから兄妹水入らずでのんびりしとくれ」
 前半は兄に、後半はこちらに向かってそれぞれ穏やかに言い置いて、早々と座を立とうとする。だがそれでは困る、まだ言いたいことは残っているのだ。
「お待ちなさい!」
 ひらひらと腰のリボンを棚引かせ、玄関へと向かう後ろ姿を呼び止める。一体兄は何をしていたのか、先ほどの勢いは忘れたように引き留めもせず、ただ呆然と見送っていたのを認めて少々呆れた。
「なんだい、まだ何かあるのかい?」
「ええ、ありますわ」
 振り向き首を傾げた彼女にそう言い、今度は兄に向き直る。お兄さまともう一度低く呼びかければ、未だ放心していたらしい兄がぱっと跳ねるように居住まいを正した。
「私は、家族以外の人間が家に出入りするのは不愉快だと申し上げましたけど」
「……おう」
 いつもふざけてばかりいる兄が、珍しく神妙に聞いている。その事実とやや固い場の空気も手伝って、続く言葉を口にするにはいくらかの勇気が必要だった。それでも言ってしまわなければならない。だってそれは、きっとお互いにとって何よりも必要なことなのだから。
「でも私、家族が増えるのを嫌だと思ったことはありませんのよ」
 深呼吸ひとつを皮切りに、一息に言うべきことを言い切った。些か早口になってしまったのが悔しいが、体裁を気にするあまり舌を噛んだりする方がよほど恥ずかしいから良しとしよう。
「えっと、それって……」
 戸惑うように声を上げたのは、呆気に取られている兄ではなく、立ち尽くしたままの女の方。
「そ……それだけですわ!」
 彼女と兄を挟まずに、まともに会話をするだけの自信はまだなかった。だからそれだけを言い捨てて、二階へと階段を駆け上がる。二人分の慌てた声に呼び止められた気がしたけれど、構わずに自分の部屋へと飛び込んだ。

 後ろ手に閉めた扉を背に、上がった息を整える。苦しいのは走ったせいばかりでなく、心臓がどきどきしているのだってただの動悸とはまるで違う。
「お兄さまが悪いのですわ」
 一人きりの部屋で、そっと呟く。
「俺さまのハニー、なんて紹介の仕方をなさるから」
 あの兄の『ハニー』とやらが何人いるのか、今更数える気にもならない。最近は随分その数を減らしたようだけど、まだまだその方面では誠実な人だとは言い切れない。ただ素直に大切なひとだと言えなかったのは、普通の兄妹のように仲良く、とはまだ言えない自分への照れ隠しだろうとわかっている。それでも。
「本当にただの『ハニー』なら、お義姉さまなんて呼べませんもの」
 彼女だけが特別なたった一人なら、早く認めさせてくれればいいのだ。反抗する私をちゃんと叱って、仲良くしろと言えばいい。そうしたらきっと私だって、諦めて可愛い妹になるしかないでしょう?

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