澪標
独り寝が寂しい、なんて。
思う日が来るとは思わなかった。
「珍しいねぇ、おまえが誘ってくるなんて」
「別に、誘ったわけ、じゃ」
ない、と言おうとするのを遮って唇を塞がれる。そのまま深くなる口づけと一緒に、出せなかった声を呑み込んだ。奔放な指先がついと胸元を通り過ぎて、反射的にふ、と吐息が漏れる。
朝方から降り続く雨が、今も屋根を叩く音がする。勢いは少しばかり増したかもしれない。もう春も終わるかという頃なのに、一日中陽射しを遮られたこの日の夜風は冷たかった。それ以上荒れる様子もない代わり、この分では明日もお日様は拝めまい。
「雷、鳴ればいいのに」
解放された途端の台詞に、間近から見下ろすゼロスが破顔する。気持ちは分からないでもない、あたしがそんなことを言うなんてきっとおかしい。
「言うよーになったじゃねぇの。そんなに元気なら、もう添い寝役は要らねーな」
「そう言って、添い寝以外のこと、するくせに」
「そりゃ勿論。だってその方が早く忘れられるでしょー?」
軽口で流しながらも、結局の所、彼は優しい。荒れ模様の日はさりげなく側にやってきて、いつものようにからかって怒らせては宥め賺して、最後には上手く言いくるめてなんとかベッドに押し込んでしまう。本当はもう一人でいたって大丈夫だし、過去の傷は乗り越えられたし、里に帰っても辛くはない。ただ長年刻まれた記憶はやはりすぐには消せなくて、ほんの少し落ち着かない気分になるだけだ。なのに相変わらず避難所になろうとしてくれる辺り、とことんまで甘やかされているのが窺える。昔つきあっていた頃を思い出す、けれど今はもう、あの頃のように真綿でくるまれた扱いではない。
「忘れるって、いうか、」
何も考えられなくなる、が正しい。普段より一層優しい代わり、際限なく愛されて意識の欠片までも囚われる。五感全てを引き剥がして、自分しか見るなと言わんばかりに。
「……やっぱり、鳴ればいい、のに」
もう一度呟く。今日は少し寒いから。人肌が恋しいなんて思ってしまったから。
「鳴ってなくても、俺だけ見てろよ」
くすり、笑う声と共に腰の動きが激しくなる。急にそれはずるい、と思ったけれど、元々途切れ途切れだった言葉はおかげで更に紡ぎづらくなり、まともに文句も言えやしない。
「あ、つ……」
寒いから、暖まりたくてここに来た。こんな時間に訪れれば、どうなるかは明白だったからこういうのだって織り込み済みだ。だから嫌なわけじゃない、むしろ望んでいたのかもしれない。だけど熱くて、触れるもの全てがただ熱くて、繋がった体の奥からどろどろに溶けてしまいそう。
「ね、ゼロ、ス」
「……ん、何よ」
「今度……っ、フラノール、いこ」
「いいけど、なんでまた」
飛び散る直前の思考の中で、不意に浮かんだ思いつき。こんな時だからかもしれないけれど、それは何故だかとても素敵に思えた。
「今は、ひみつ……、だよ」
それだけ、どうにか言うのが精一杯で。ふぅん、と柔らかく笑ったゼロスが最後とばかりに突き上げてきて、後はもう意味のない音ばかりが溢れて散らばる。もう一度、熱い、と知覚してそれきり、ぷつりと感覚が切断される。雨音はまだ止まない。耳元でおやすみと囁いた愛しい声が、この熱を微睡みに融かしていく。
雨よりも冷たい雪の日には、きっとあたしよりあんたの方が寒いだろうから。
そうしたら今度はあたしが、冷えたあんたを温めてあげるよ。
- 2009/06/24