その生に祝福あれ

 彼女は両親を知らない。
 それだけならまあよくある話でもあったし、取り立てて不幸だとも思わない。立派な親がいながら愛されないことの方がどれだけ辛いかと、我が身の不運に酔っていたせいもある。だが彼女自身があまりにもあっさりと口にした一言で、その認識を改めざるを得なくなった。
「あたし、ガオラキアの森に捨てられてたんだよ」
 あんな所にわざわざ行くくらいだから、両親はもしかすると近隣のサイバックかオゼット辺りの人間だったのかもね。別に探そうとも思わないから構わないけど。ああそうだそういえばね、……。
 ぺらぺらと調子よく喋るしいなの声が、どこまでも耳に入らず上滑りしていく。別段無理をしている風でも、気を遣っている風でもないごくごく自然なその態度。あっという間に話題は別の話に移り、サイバックのカフェの新メニューがどうこうなんて間延びしたことが、年頃の少女らしい熱心さで語られている。
「……ゼロス? どうかしたのかい?」
 先程から生返事で相槌を打つばかりの俺を不審に思ったのか、不思議そうに首を傾げたしいなが問う。何故そんなに屈託なく笑っていられるのだろう。自分が今何を言ったのか、彼女は本当にわかっているのだろうか。
「なあ、しいな」
「うん?」
「ガオラキアの森って、どういうとこだか知ってるのか」
 平静を装ったつもりの声は、我ながら意外な程はっきりと怒気を含んでいた。
「え、っと……」
 それをちゃんと察したのだろう、僅かに身を竦めて驚いたようにこちらを見る。恐らくは顔の方もなかなかに険しい表情だったに違いない。一瞬言い淀み、けれどそれが自分に向けられたものでないと悟ってか、少し固いながらも笑みを浮かべて。
「知ってるよ、あたし達にとってはあそこも通り道のひとつだしね。あたしが捨てられてたっていうその場所だって、何度も通ってる」
「おまえは……、それで、何とも思わないのかよ」
「何とも、ってことはないけど……。別に今更気にするようなことでもないし、何よりその時のことなんて覚えちゃいないよ。まだ赤ん坊だったんだからさ」
 覚えていないからなんだというのか。記憶にないから気にならないと何故言えるのか。いくらその後養い親に恵まれたからといって、それで帳消しにできるような種類のことなのか。決して彼女を責めたいわけじゃない、そうじゃないけれどやり場のない怒りが沸き上がってきて反吐が出そうだ。
「赤ん坊だったからこそ問題なんじゃねーのかよ。あんな暗くて人気もなくて、幽霊が出るなんて噂もある迷いの森にどうして自分の子供を捨てられる? 反抗的だの可愛くないだのって疎まれるような歳でもないだろ。この通り五体満足で見目形だって悪くもねぇのに」
 もし仮にどこぞの孤児院の前だとか、教会の裏口だとかに捨てられていたなら理解もできる。メルトキオ貧民街の片隅だってあり得るだろう。時間を選べば人目にはつきにくく、でもそれなりに往来があっていずれは誰かに見つかるだろうと思える場所。それならば親も泣く泣く手放したのかもとか、育てられない事情があったのかもと考えてやれないこともない。けれどあんな所を選んだのでは。
「おまえ、実の親に死ねって言われたようなもんなんだぞ? それも自分の手は汚さずに、誰にも見つからないような場所で一人寂しく餓死するか、獣にでも食われて勝手に死ねって」
 自分達の都合で世に生み出しておきながら、そんな血も涙もない仕打ちをするだなんて。自身の手で間引くだけの覚悟もないくせに、目の届かない所で死に追いやることはできたのか。そんな奴らが親だなんて、彼女に流れている血を作っただなんて、そんな酷い話があっていいのか。
「……ありがとね、ゼロス」
 八つ当たりにも似た怒りにまかせて、言わでものことを言ったのに。怒られるか泣かれるかしても仕方がないだろうと思うのに、しいなはそう言って静かに微笑んでいた。
「なんで、礼なわけ?」
「あんたが初めてだから。そんな風に怒ってくれたのはさ」
「……誰だって聞いたら怒るでしょーよ。お人好しのおまえは自覚ないのかもしれねーけど、相当酷い話だぜ、コレ」
 いつも、どちらかというと歳に見合わぬ幼さばかりが目につくしいな。その彼女が今は妙に大人びた笑顔を見せていて、それがまたとても似合っていたりして、どうにもばつが悪い気分になって顔を背ける。これは正当な怒りのはずなのに、こちらの方が子供じみたわがままを言っているようで気恥ずかしかった。
「それが意外とそうでもないんだよ。ま、酷い話だってのは自覚してるけどね」
 言う声が半分笑っていたから、ちらりとその顔に視線を戻す。そこで初めて、その笑顔が大人びて見える理由に気づいた。
「……おまえ、なんか余計なこと考えてるだろ」
 憂わしげに沈む影は自責の念だ。臑に傷持つ、どころでは済まされない過去の痛手は、今も尚事ある毎に彼女を苛む。似たような経験を持つ者同士、傷の舐め合いはできても根源治療は望めない。だからいつまで経っても救われない、けれど。
「生まれて来なきゃ良かったとか、言うなよ。拾われなきゃ良かったってのもな」
 そんな呪いに縛られるのは、この俺さまだけで十分だ。

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