汲めども尽きぬ愛情をあなたに。
ふわりふわり、浅い微睡みの海を漂う。
甘い痺れが弛緩した体を蝕んで、穏やかに意識を融かしていく。心地良い温度に包み込まれて、眠りへと誘う手が招く。
「……な、しいな……」
落ちかけた思考を、呼び戻したのは耳慣れた声。甘やかに引き寄せる呼び名を頼りに、ゆっくりと表層へ浮上する。半ば閉じた瞼を薄く開いて、月明かりに浮かぶ紅を捉えた。
「ん、ごめん……、寝かけてた」
そう言った自分の声はなんだか酷く頼りなくて、まるで別人のようだと可笑しくなる。
「ありゃ。悪ぃな、寝かせとけばよかったか」
答えたゼロスもまた、こちらを見下ろす表情がいつになく穏やかで柔らかい。
昼間は相変わらず揉めてばかりで、下らない口争いの末につい手が出ることも度々だが、流石にこんな時くらいはお互いに矛を収められる程度になった。
「眠たそーだな。疲れた?」
男のものにしてはしなやかな、長い指がさらりと髪を掬う。大概の女が負けるくらいに綺麗な顔立ちをしているくせに、その指先はやっぱりちゃんと男のそれで、少し骨張っていて逞しい。剣を握る手は決して柔らかいばかりではないけれど、触れられる感覚はいつだってとても優しかった。
「少し、ね。誰かさんのおかげで」
くすり、笑いながらの皮肉は咎め立てる色には成り得ない。確かに強引に持ち込まれることが多いけれど、本当に嫌だと言えばちゃんと止めてくれる相手だから。
なんとなく寄り添いたくなって、身動ぐと纏いつく痺れが強くなる。ん、と妙に甘い声が漏れてしまって、今更のように気恥ずかしさが込み上げた。
「何、もう一回?」
「馬鹿。これ以上あんたにつきあってたら、明日起きられなくなっちまうだろ」
「だって誘ってるみたいだったもん。今の」
「違うってば」
嬉々として擦り寄ってくるゼロスを往なしきれずに抱き込まれる。素肌から直に伝わる体温に、柔らかく包まれてつい流されてしまいそうになるけれど。
「駄目だよ、朝早いんだからさ」
「いーじゃんそんなの。キャンセルしちまえ」
明日は仕事の報告に行かねばならない。ここに来た時からその予定で、それはゼロスだって重々承知していたはずで、さっきだって無茶はするなと約束させてからやっと誘いに応じたのに。
「駄目だったら、もう」
「俺さまが代わりに連絡しといてやるから。な?」
「……この、エロ神子」
結局こうなるのかと思うと頭が痛いが、一旦スイッチを入れてしまうと取り消しが効かないのは経験則で知っている。毎度許してしまう自分も自分だということも。
次々と肩口に落とされる口づけを、拒むのはとても難しい。慣らされた体はすぐに力が入らなくなるし、元より強硬に止めるだけの確固たる意志を持ち合わせない。考えてみればこうして夜を過ごすのはもうひと月以上御無沙汰で、彼ががっついてくるのも頷ける。攻められれば自身にもすぐ火が点いて、なけなしの自制心は至極簡単に霧散した。
「つきあって。朝まで」
吐息混じりに強請る声が、籠もり始めた熱を煽る。明日は何時に起きられるだろう。昼前に目が覚めてくれればいいのだけど。
本当に欲しいものには、何ひとつ手を伸ばせなかった過去を知っている。大事なものほど遠ざけて、頑ななまでに孤立を選んで。そんな彼だからこそ、求められるのが嬉しかった。だから。
欲しいだけ奪って行くといい。まだ足りないと言うのなら、差し出せる全てを与えよう。大丈夫、あたしがあんたを満たしてあげる。
揺らぐ水月に混じって溶けて、朝靄の中で眠りについた。散らばった意識は闇でなく白い光に墜ちる。いつかのようにちゃんと抱き止めてくれるから、恐れるものは何もなかった。
好きだよと最後に囁いて、温かい腕の中に溺れて沈む。与えた分だけ与えられて、それでも飽和しない思いが切なく狂おしく、愛しい。
- 2009/06/24