春色マイフェアレディ

「だから今夜だけ、頼むってば。なー? ほらこの通りっ」
「くどい! あたしはそういうのはイヤだっていつも言ってるだろ!?」
 両手を合わせ猫撫で声で、このゼロスさまともあろう者が平身低頭お願いしているその言葉を、こんなにもばっさりはっきり一顧だにせず、素気なく却下してくれる人間なんて、今更説明するまでもなくたった一人しか存在しない。
「そこをなんとか。一切面倒はかけないし堅苦しい礼儀作法も言わない、ただ黙って一緒に来てくれるだけでいーからさぁ」
「だったら尚更、適当に取り巻きの誰かでも誘って行けばいいだろ? あたしは嫌だからね、着飾って晩餐会だなんて場違いも良いとこじゃないか」
「だーかーらー、ハニーたちの誰かじゃ意味がないのー、俺さまはどーしても、どーっしてもしいなに来てほしいのー!」
 パーティの誘いに喜んで乗るような女じゃないのはわかっている、というかそんな相手ならそもそもこうまでして誘いたいとは思わない。それでも立場上出なければならないものの全てに同伴を願っているわけでなし、厳選の上に厳選を重ねてどうしてもこれだけは、というものを選び抜いて頼んでいるのだから、せめてそれくらいは快く引き受けてほしいものである。
「あんたと一緒に出歩く度に、平民風情が偉そうにだの私たちの神子さまを独占してるだの、陰でこそこそ言われるこっちの身にもなっておくれよ。さすがにあんたの前じゃ誰も言わないだろうけど、視線が痛いのは変わらないんだからね……」
 はあ、と大袈裟に息を吐いて首を振り振り、愚痴られればこちらも答えに窮す。彼女がそれらの僻みやっかみを一身に受けているのは知っている。そして日頃は文句も言わず弱音も吐かず、ひたすら受け流しやり過ごして耐えているのも。気の強い彼女が言い返しもしないでいる理由は、偏にこちらの立場を慮ってのこと。悪いとは思っている、だからこそ埋め合わせのつもりでこうして『特別扱い』をしているのに。
「俺さまとしては、そーゆーのを少しでもなくそーと思ってせっせと連れ歩いてるんだけどねぇ……」
 公衆の面前でいかにも仲良さげに振る舞えば、いずれは『本命』として周知されよう。気移りする様子もないと見れば、祝福されずとも諦めてくれる日も来るだろうから。
「逆効果なんじゃないのかい。女の子に呼び止められる度に愛想振りまいてる限りはね」
「しいなってば、きーびしー……。これでもあれよ? しいな連れてる時は、俺さまからは絶対声かけないよーにしてんのよ?」
「当たり前だろっ! 大体あたしがいない時にはナンパしてるなら一緒じゃないか!」
「はい、すいませーん……」
 実は一人でいる時にも、なるべく声をかけずまた捕まらないようにもしているのだが、なんとなく癪なので言わないでおこうと決めている。口だけは素直に謝りながら、窓の向こうへと目をやれば随分と伸びてきた影が目に入った。少しばかり慌てて、壁際の時計を振り仰ぐ。
「まーとにかく、急で悪いけど今夜だけはお願いしますしいなさま! 今日はナンパしないから、パーティ終わったらすぐ帰るから、なっ!」
 もう一度、どうか断らないでくれと願いながら頭を下げる。なんだかんだ言っても甘い彼女が、今日も絆されてくれることを祈りつつ。
「……ったく。今日だけだからね! ちゃんとエスコートしないと承知しないよ」
 どうやら、切なる祈りは通じたようだ。ああ神さまありがとう!
 こんな時ばかり神頼みをする自分は、元がつくとはいえ神子なんてものとは本当に相容れない存在だなあと改めて思う。
「やっぱりしいなやさしー! だから俺さまってしいな好きなのよー」
「ああもう! べたべたくっつくんじゃないよ、鬱陶しい!」
「はいはいわかってまーす、じゃあちょおっと待っててねー、今ドレスの用意させっから。髪と化粧は美容師呼んであるから、しいなは座ってるだけでおっけーよ」
 抱きついて感激を表現し、殴られる前にさらりと引いて準備にかかる。そもそも用件を切り出したのが午後三時のティータイム、夕刻からの晩餐会に間に合わせるには時間が惜しい。自分の分はどうでもいいのだ、服も髪型ももう決めてある。問題なのは彼女の支度、貴族連中の只中で恥ずかしからぬ装いであるよう、できるなら華やかに人目を引いて小うるさい輩を一掃できるよう。彼女が美しいのは惚れた弱みを抜きにしても明らかだが、美しいものには更に磨きをかけたくなるもので、そしてこの世界では女性の美は何よりの武器にもなるわけで。こちらの都合で不愉快な社交の場に引き出す以上、最大限の武装を与えるのは義務でもあろう。
 ……決して、着飾った彼女の艶姿が見たいからだなんて煩悩だけでやっているわけではない。断じて、ない。

「お、いーい感じじゃないのよー」
 自分の着替えと身支度を終え、しいな用にと明け渡した自室を覗く。既にドレスの着つけとメイクが終わり、今は髪を結われているしいなと鏡越しに目が合った。もう仕上げの段階らしく、きっちりとまとめられた黒髪がいつにも増して艶やかだ。
「はい、できましたよ」
 花を模した簪を差し、一礼して美容師が部屋を辞す。入れ替わりに鏡台へと近づいて、腰掛けた彼女の手を取り立ち上がらせる。
「ゼロス、あんたドレスの趣味変わったのかい?」
 首を傾げての台詞に合わせ、紫水晶の耳飾りがしゃらりと揺れる。彼女の為に誂えた特注品は、その深い色合いが白磁の肌によく映えた。
「んやー? そーゆーワケでもないけど。なんでそう思った?」
 今日選んだドレスは、胸元の露出は控えめな代わり、背中側が大きく空いたデザイン。体に沿ったラインはスタイルの良さを引き立て、スカートの深いスリットからは鍛えられた脚線美が覗く。抜群のプロポーションを余す所なく強調し、しかしエレガントな雰囲気も残して上品さを演出する、なかなかに良いセンスだと思うのだが。
「だって……あんたいつも、無駄に露出度の高いのばっかり選んでたじゃないか。今日はあんまり肌も出ないし、スカートだって丈が長いし」
「前はそーでもないけど、後ろは結構ぱっくりいってるぜー? スカート丈はあれだな、敢えてロングにスリットでチラリズム最高! ――って感じ?」
「呆れた奴だね、全く……。でもやっぱりちょっと違う気がするよ、今までは前も後ろも布切れみたいなもんだったのにさ」
 一応有名デザイナーの作品を、布切れ扱いとは失礼な。それほどに面積の少ない服を、着こなせる体型なのを彼女はもう少し誇るべきだのに。
 だが実際、趣味は変わっていないが選択基準が変わったのは事実でもあった。その理由はといえば、至極単純明快な一点に尽きる。
「だってねぇ。何が悲しくて俺さまのスイートハニーの柔肌を、見ず知らずの男共にわざわざ晒してやんなきゃなんないの?」
 下らない男の独占欲と言ってしまえばそれまでのこと。それでもその極上の肌の滑らかさは、誰の目にも触れさせず独り占めしたいものなのだ。
「でもしいなには露出度高い服の方が似合っちゃうから困るんだよなー。俺さま結構悩んでんのよ、これでも」
 そう、難儀なのは似合うものを着せたい、見せびらかしたいとも思えばこそ。自分一人の為だけならば、思い切り際どい衣装で飾りたい。けれど美しく飾ったならば羨望の眼差しを集めたいと思う心も芽生えるもので、その匙加減はいつだってとても難しい。十把一絡げの『ハニーたち』でなく、たった一人の恋人を思う愛あればこそ。
「貴族のお嬢さん方に人気のプリンセスラインだと、しいなの悩殺モノのナイスボデーが隠れちゃって台無しだし? そもそもあんな何重もパニエ入れて膨らませた足下の見えないスカートじゃ、まともに歩けるかどうかも怪しいけどなー」
「別に着たいとも思わないけど、そう言われるとムカつくもんだね……」
「はい怒らない怒らない。つってもさ、実は俺さまも好きじゃないのよあーいうの。隣歩くのに気を遣うし、何より密着できなくてつまんないしー」
 ほらこっちの方が色んなコトできちゃうし、なんて言いながら細い腰へと手を伸ばす。ぺちんとはたかれても諦めず、抱き寄せれば根負けしたように寄り添ってくれて笑みが溢れた。
「んー、いー匂い」
 間近に来たうなじの辺りから、仄かに香るフレグランス。折角ちょうど良い時期だからと、予てから密かに用意していた花の香りは予想以上の成功だった。
「ま、これはあんたにしちゃ悪くないセンスだね。でもこんなのどこで手に入れたんだい?」
「あのねー……。しいな、ミズホにしか咲いてない花の香水なんてのがメルトキオの店で売ってるワケがないでしょーよ」
 そんな単純なことがわからないのがしいならしいが、それだけ彼女にとっては身近なものであったとも言えるのだろうか。
 去年の春、しいなに連れられて行ったミズホの里で出会った花の香り。舞い散る花弁の中の立ち姿に、きっと似合うはずだと確信した。
「おまえの為に作ったの。これも俺さまの愛だから、ありがたーく受け取ってくれよなー?」
 できるだけなんでもないようにさらりと告げて、不自然にならぬよう目を逸らす。ストレートな告白はいつだって苦手だ、そうした方がいいことも沢山あるとわかっていても。
 一呼吸置いてから、もう一度改めてしいなを見やる。まだ驚きに目を丸くしている彼女と視線が絡み、それからややあってふわり、笑った。
「さってと。そろそろ行きますかね、マイレディ」
 どうにも気恥ずかしい雰囲気を、払拭すべく苦笑して礼をとる。しょうがないねと言いたげに、差し出された白い手を取って。

 さあ、華やかな戦場へと参りましょうか。

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