いえないコトバ
前触れもなく。
「……ゼ、ゼロスっ!」
ひどく上擦って裏返りかけた大声で、呼びかけられて足を止めた。
「んー?」
怒っているわけではなさそうだと見て、気のない返事で振り返る。予想違わず、そこにあったのはしいなの姿。まあ、見るまでもなく声と気配でわかるけれど。
「どったのよしいな、俺さまになんか用? 声ひっくり返っちまってんぞ」
妙に思い詰めたような、或いは切羽詰まったような。そんな表情が気になって、首を傾げて問いかけた。しかし、彼女は何も答えない。
「…………」
「……しーいなー?」
傾げた首をもう少し、ひょいと下げて覗き込む。一体何をしたいのやら、そこまでしても頑なに目を合わせようとせず、何もない足下の辺りをまるで親の仇ででもあるかのように睨んでいる。目つきだけ見れば余程怒っているのかと思うところだが、さりとて常ならば纏っているはずの『怒りのオーラ』とでも言うべきものが、今はどこにも見当たらなかった。
「……あ、あたしは……っ」
とにかくもう一度声をかけてみようと、口を開きかけたその途端。
ボリュームはかなり小さいものの、先程と同じく掠れ気味に上擦った声が発せられた。
「しいなは、なーに?」
覗き込んだ姿勢はそのままに、促す言葉にも即答はない。ただぱくぱくと口を開いて閉じて、すうはあと数度大袈裟な呼吸を繰り返す。そして、それからややあって。
「あたしは、あたしはあんたのことっ……!」
「……うん?」
その台詞から、なんとなく。
大嫌いとでも言われるのかなあ、それはキツイなぁ俺何かマズイことやったっけ、と。そんな漠然とした内容が、頭の中にぷかりと浮かんだ。
若干額に汗をかきつつ、『何かしでかしたこと』はないかと我が胸に問う。幸か不幸か、思い当たることは特になかった。それでも一応の覚悟だけはしておこうと、身構えて体の芯に力を入れる。
「…………す、」
「……す?」
「す……、好きでも嫌いでも、大嫌いでもないっ!!」
あれちょっとそれ予想と違う単語だな、なんて思う暇もなく。頬をこれ以上ないほど真っ赤に染めて、固く両目を瞑り拳を握って。一息に吐き出された言葉を受け取って、暫し反芻して考える。考える。その結果は。
「……普通?」
言った瞬間、それはもう見事なくらいに固まるしいな。あっ、と小さく叫んだ口を押さえて、あわあわと慌て出す様は見ている側としては大変楽しい。
「えっと、あの、いやだから、そのっ…………そう!」
「ん、うん?」
「そう普通! 普通、だから……それだけだよっ!」
勝手に百面相を披露した後で、多分恥ずかしいのだろうあらぬ方向を向きながら。こちらにびしっと人差し指を突きつけて、言うだけ言うとそのままくるりと踵を返した。
「あ、ちょっ……しいな!」
我に返って止める間もなく。
全力で駆け去ったしいなの棚引く帯を、掴むことすらできなかった。
「好きでも嫌いでも、大嫌いでもない……ねぇ」
敢えて排除された一単語。
気づかなかったわけではない。ただ面と向かって口に出すのは、あまりに気恥ずかしかったから。
ああ、だけど。
(大好きかー、そっかぁ)
無意識に口元が緩んでしまうのは、どうしたって止められない。
とっても可愛くて素敵なので、ご存じない方はぜひどうぞ!
- 2009/10/24