専用QUEEN

「どう、……かな」
「……あ、あぁうん、いーんじゃねーの」

 込み上げる恥ずかしさと緊張とを、必死の思いで押し隠して漸う発したその問いは、どうにも歯切れの悪い一言だけで至極あっさりと済まされた。
 もしかしたらサイズが合ってないんじゃないだろうかと、着る最中に何度も思ったし実は今でも少し疑っている。一応着られたし着てみれば意外ときつくはないからこれでいいのかもしれないけれど、相手が女の形でさえあれば歯の浮くようなお世辞が何より得意のこの男にすら言い淀まれるとは、例によって女扱いされていないだけなのかそれともよほど不似合いなのかと不安にもなる。どうしても泳ぎたいというわけでなし、あまりおかしいようなら着替えてこようか。一度はちゃんと着たのだから、送り主への義理は立とう。
「やっぱりあたし、着替え――」
「ちょっと待ってろ、いいかここ動くなよ?」
「て、えっ、ちょっとゼロス……!?」
 言いかけた言葉を聞いていたのかいないのか、唐突に口を開いたゼロスは一方的に言い置くとさっと駆け出して行ってしまった。ここはビーチの片隅に置かれたパラソルの下、見える範囲には他の仲間の姿はない。一人ぽつんと取り残されて、後はただ寄せて返す波の音だけが聞こえてくる。
「……なんだってんだい、一体」
 小さく呟いてから押し黙る。動くなと言われたからには待つより他なく、手持ち無沙汰に遙か水平線に目をやった。一人でいれば僅かの間も長く感じるものか、ほどなく戻って来たゼロスは走り続けて来たとみえて幾分息を切らしていた。
「よ、お待たせー」
 すぐに呼吸を整えてから、へらりと笑って言う様子はいつもと何ら変わりない。ただその手には、先ほどはなかったものが握られている。
「それ、何?」
「ホテルのフロントで借りてきた。さすがレザレノだなー、用意ばっちり」
「わざわざホテルで借りるって……あ」
 ほらほらと両手で広げて見せられて、それが何かを理解する。白い布でできた薄手の上着、前開きでフードのついた所謂パーカーと呼ばれるもの。でもなんでそんなものをと思う間に、ふわりと背に羽織らされた。
「はい、どーぞ」
「あぁ、ありがと……って、なんで?」
「なんでって、おまえねー……。いやまあいいか、しいなだし」
「どういう意味だい、あたしだしって!」
 呆れた風の言葉に条件反射で噛みついて、返ってくるだろう軽口に備えて気を張った。しかし予想に反して、暫く待っても反応はない。
「……ゼロス?」
 首を傾げてそろりと問えば、はあ、と大袈裟に溜息をつかれた。その表情が今ひとつ冴えないものだったから、むっとするよりも訝しさの方が先に立つ。
「あーそのね、つまりあれよ」
「あれじゃわかんないだろ、はっきり言いな」
「だからー……。なんか着せとかないと、その格好は目の毒だろって言ってんの」
 半ばから視線を逸らし、終わりに行くほど窄みがちに、小さく。言われた内容を咀嚼して、呑み込めば落胆が胸に広がっていく。当然予想していたことだったのに、こうはっきり言われてしまうと想像以上に悲しかった。そして同時に、些かの苛立ちも覚えずにはいられない。
「……そりゃあ悪かったね」
 かけられた上着があるのを幸いに、片手で襟元をかき合わせ、そのままくるりと背を向ける。
「じゃ、目の毒とやらはさっさと退散させてもらうよ」
「え、いや……ちょ、しいな!」
 背後から何やら焦った声が聞こえても、構わずに足を踏み出した。
 人を毒呼ばわりする奴なんて、置き去りにされるぐらいで丁度良いのだ。


 なんとなく泳ぎに行く気にはなれなくて、波打ち際からは正反対、ビーチ端の日陰を奥へ奥へと進んでいく。時折影の切れ目に遭うと、陽に焼けた砂がサンダル越しにも分かるほど熱い。
「あら、しいなじゃない」
「……リフィル。こんな所にいたのかい?」
 不意に声をかけられて、顔を上げたそこには見知った相手。すっきりしたモノトーンの水着がよく似合っていたが、何故かその手には読みさしらしい本がある。さすが水嫌いの彼女らしく、涼やかな銀色の髪にも濡れた様子は全くない。
「ええ、波の音を聞きながらの読書というのもいいものよ」
「あんたらしいね。浜辺で日光浴とかはしないのかい?」
「日焼けするのは御免ですもの。あなたもそのつもりで来たのではないの?」
「いや、別にそういうわけじゃないよ。あたしは泳ぐのも嫌いじゃないし……」
 言いかけてふと考える。泳ぐのは確かにいいのだが、この水着でと考えると、色々な意味で心配が多い。主に脇の紐部分が千切れたりしたらどうしようとか。
「そうなの? 上着まで用意しているくらいだから、日焼けしたくないのかと思ったわ」
「ああ、これはあたしが持ってきたんじゃないんだよ。ゼロスが勝手に借りてきたのさ」
 ついさっき言われたことを思い出し、苦々しい表情で説明する。けれどリフィルはといえば、一瞬だけ目を丸くした後、口元に楽しげな微笑を浮かべた。
「ふぅん、ゼロスがね……」
「あのアホ神子、なんか着てないと目の毒だなんて言うんだよ。まったく、失礼ったらありゃしないよ」
 そりゃあ、あたしなんかがこんなの着たって似合わないってのはわかってるけど。
 後半は声高に言うのも悔しくて、口の中だけで呟いた。
「目の毒、ね。確かにこれは心配でしょうね」
「心配? どういうことだい」
「わからないのがあなたらしいわ」
 くすくすと密やかに笑われて、頭の中に疑問符が浮かぶ。
「ゼロスはね、別にその水着が似合っていないとか、あなたを見るのが厭わしいという意味で言ったのではないのだと思うわよ」
「じゃあそれ以外に一体なんの意味があるっていうんだい?」
「そうね、多分ゼロス本人にとってではなくて……ああいう手合いに対してのことね」
 ほらご覧なさいと、リフィルの白い手が指し示すのは燦々と太陽降り注ぐビーチの中ほど。髪も化粧も派手やかな、露出度の高い水着を纏った娘たちと、親しげに話しかける男たち。誰のとは敢えて言うまでもないが、見慣れた光景だからその会話にもおおよその想像はつく。
「……あたしだって、こんな場所でナンパ男に引っかかるほどは馬鹿じゃないつもりでいるんだけど」
「でしょうね。でも問題は、その格好でいるとそれだけで目をつけられやすいということではなくて?」
「わざわざあたしなんかに声かけなくても、可愛い子はいくらでもいるじゃないか。それこそリフィルとかコレットとか、プレセア……はまださすがに小さすぎるけど」
「それが事実かどうかはともかくとしても。ゼロスの方は、そうは思っていないということでしょうね」
 言われた意味を測りかね、困惑してリフィルを見つめたが、彼女はただ静かに微笑むだけ。それから徐に表情を変え、意地悪くにやりと笑ってみせた。
「で、いつまで黙っているつもりなのかしら?」
 笑みを含んで揶揄する響きで、かけられた言葉はあたしを通り越してその後ろへと送られる。驚いてはっと振り向けば、そこにいたのは話題に上っていたゼロス当人に間違いなかった。
「や、そのね、ちょーっと声かけそびれちゃったっていうかねー」
 決まり悪げに頭を掻きつつ、らしくもなく困り顔で言う姿は珍しい。ついでによくよく見てみれば、この男の水着も相当目のやり場に困る格好だなと思い至って頬が赤らむ。
「あなたがはっきり言ってしまえば済むことでしょう? 他の男には見せるな、って」
「……っ、リフィルさま~……」
「心配して探し回るくらいなら、最初から目を離さないでおきなさいね」
 急な事態について行けないでいるうちに、すっかりリフィルにやり込められてしまったらしい。わざとらしく項垂れていたゼロスが深々と息をついてから、やおら顔を上げこちらを見る。
「まーその……ほら。そーゆーコトだから」
「そ、そういうことって……」
「水着だけで外出るの禁止ね。一人でビーチ歩くのも駄目。おっけー?」
「えっと、いやでも、その……っ」
 素直に頷くのも、反抗するのも、咄嗟にはできかねて答えに窮す。助けを求めて傍らに佇むリフィルを見ても、双方を面白そうに眺めるばかりでそれ以上口を挟む気はなさそうだった。
 さあどうしよう、受け入れるべきか断るべきか。一通り頭の中で繰り返し、やがて湧いて出たのは答えに代わる疑問がひとつ。
「……泳ぎたいときは、どうすればいいんだい」
 上着を着たままでは泳げない。さて、ゼロスはなんと答えるのか。
「泳きたい時、は」
 一度ぷつりと言葉を切って。
「脱いでいいけど、俺さまの側から離れんな」

 それはなんとも横暴なはずの言い分なのに。
 気がつけば、「わかった」と頷いている自分がいたのが不思議だった。

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