15センチメートル

 目の前を歩く背中を凝視する。いっそ穴が空いてしまえとばかりに。

「さっきから何をじっと見てんだい」
 隣を歩くしいなが、遂に痺れを切らした様子で聞いてきた。随分前から俺さまとその視線の先とを、交互に見やっていた動作は視界の端に納めていたから、その疑問が出るのはまあ当然だと言えるだろう。
「リーガルになんか恨みでもあるのかい? 今にも取って食うような顔してさ」
 続けられた言葉は、呆れと興味が半々といった軽い調子。さもあろう、これはしいなにはきっと理解できない種類の問題だ。そう、過不足なく均整の取れた体を持つ彼女には。
「おっさんに恨みはねーけどなー」
 強いて言うならば己を生み出した両親か、或いは連綿と続く婚姻統制でもってこうなるよう仕向けたクルシスか。そのどちらかにならぶつけてもいいのかもしれない、それが恨みかと言われると微妙だが。
「まあ、恨めしくはあるなぁ」
「……つまり、何が不満なんだいあんたは」
 それだけの断片と視線とでは、やはり察せなかったらしい彼女が小首を傾げ眉を顰める。わかんないよなあ鈍いもんなあと呟けば、お得意の平手が飛んできた。
「殴るよっ」
「だから殴ってから言うなっての」
 幸いさほど強い力ではなかったから、殴られた辺りの髪をがしがしとかき回しておいてそれで済ませる。
「不自由してなさそーなおまえにはわかんねぇよ」
 ぽんぽんと肩を叩いて宥め、ついでにそのまま引き寄せる。
「わっ、ちょ……、急に何するんだい!」
「いーから大人しくしてなさーい。俺さま今御機嫌斜めなの」
 我ながら理不尽なことを言う。しかし彼女は、意外にも素直に従ってくれた。勿論その顔は耳まで真っ赤に染まっていて、わざとらしくそっぽを向いてはいたけれど。
「ロイド君もまだ十七だからなー……」
 つい口に出してしまった台詞は、多分それどころでない彼女の耳には届かないでくれたらしい。あの歳はまだまだ伸びるんだよな、しかも親が親だしな。今度は胸の内だけでこぼす代わりに、先頭を歩く背をきっと睨んだ。
「あーあ、俺さまも一八〇欲しかったなぁ」
 特大の溜息を吐き出して、抱き寄せたしいなに頭を寄せる。そのままぐりぐりと頬摺りをして、喉の奥で上がる悲鳴に少しばかり溜飲を下げた。
「おまえ一六四だっけ。いいよなあ女でそれはほど良い感じで」
 高すぎず低すぎず、ヒールを履かせても一七〇には届かない。男から見ても可愛く思える、いい按配の成長具合だ。
「な、一体なんの話なんだいっ、というかそろそろ放せこの変態っ」
「だぁめー。機嫌直るまで慰めてよ、ハニー」
「誰があんたのハニーだ!」
「ありゃ、ハニーじゃやなの? じゃあマイスイートハニーのしいなちゃん」
「余計気持ち悪いよっ、もうさっさと放しとくれ!」
「だからヤだってばー」
 耳元できゃんきゃん喚かれても、相変わらず茹で蛸のような顔ではこれっぽっちも怖くない。切れ上がった目元までも見事な桜色なのだから、睨まれたって可愛いだけだ。

「あらあら、随分と仲良しね」
 これだけ騒げば当然か、前にいたリフィルさまが振り向き嫣然と笑う。一瞬で凍りついたしいなの髪に、見せつけるように軽いキスをひとつ。
「でしょー? ほらしいな、固まってないで歩く歩く」
 肩を抱いていた手を腰に回して、ぐいぐいと押せば漸く歩き出しはしたものの、未だ思考は停止したままらしい。今ならイロイロしても怒られないかも、なんて邪な思いがちらりと浮かぶ。まあ浮かんだだけでさすがに実行はしないけれど。
「ゼロス、いいことを教えてあげましょうか」
 歩きながら顔だけをこちらに向けて、言うリフィルさまの表情は何やら面白そうなもの。
「なになにー? 俺さま聞きたーい!」
 答えると、くすりと笑ってから目を細め、まるで悪戯っ子みたいな顔をして。
「十五センチの身長差は、一番キスがしやすい距離なのだそうよ」
 高すぎなくて良かったのではなくて? なんて微笑みながら言われたら。

「……なるほど、ね」
 間近にあるその唇に、目がいってしまうのは不可抗力というものだろう。化粧気もないのに鮮やかな、珊瑚色に色づく魅惑の果実。ああそう思って見れば確かに、ちょうどいいところにある、ような。
「やっぱもう伸びなくていいわ、俺」
 くすくすくす。
 斜め前を行く背中から、忍び笑いが漏れていた。

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