呼ばない理由

「ゼロスはしいなのことしいなって呼ぶけど、しいなはゼロスのこと神子って呼ばないんだね」
 今ひとつ何を言いたいのかよくわからない、ある意味とても彼女らしい発言をしたのは、パーティきっての天然少女だった。
 野宿の夜、夕食も済んで火を囲み、各自思い思いの行動に散る時間帯。今日は天気もよく風も強くなく、加えて地理的に出没する魔物は弱く数も少ない。要するに、野宿としてはかなりの好条件が揃った平和なひとときというわけだ。
「んん? なんだよコレット、しいなじゃなくてもゼロスはゼロスじゃないのか?」
 しっかりとコレットちゃんの左隣をキープして、のほほんと足を投げ出したロイドが言う。 反対側、右隣には膝を抱えて座るしいな。真ん中のコレットちゃんに顔を向け、首を傾げた姿は丸まった猫みたいでちょっと可愛い。
「えっとあのね、私たちはそうだけど、テセアラの人はみんなゼロスのことを神子さまって呼ぶでしょ? プレセアは違うけど、リーガルさんもそうだし。でもしいなは違うよねって」
 両側に満遍なく顔を向けつつ、一生懸命に話す様子はロイド君でなくとも微笑ましくてついつい頬が緩むというもの。ね? と振られたしいなはと言えば、暫し何事か考え込んで。
「そうだねぇ……。そう言われると、あいつのこと神子って呼ぶことはあんまりないね。アホ神子ならよくあるけどサ」
「不思議だよなぁ。神子って一応偉いっていうか、えーと……う、うや、まって? 呼ぶ? 名前なんだよな」
「合ってる合ってる。敬称ってやつだね」
「なのにさ、ゼロスは怒られるときの方が呼ばれてるよなぁ。変なの」
 敬称も知らないのか、ロイド君。でもそれより敬うって単語を知っていたことの方が驚きだ。用法が一応、思いっきり不安そうだが間違っていないことも。
「そうそう! ゼロスね、しいなにアホ神子って言われるとき嬉しそうなの。神子さまって言われるときは全然そうじゃないのにね」
 何がそんなに嬉しいのかはわからないが、女の子の弾んだ声を聞くのは悪くない。それにしてもさすがコレットちゃん、細かい所までよく見ている。これでもあまり露骨な態度は示さないようにしているつもりだったんだが。
「あいつにも、あれで色々あるからね。下手に権力だの地位だのあると、いいことばっかりでもないんだよ」
「再生の旅はしなくていいだけ、コレットよりはマシな気もするけどな」
「そりゃあね、利権絡みの暗殺さえ気をつけてれば、一応死ぬことはないわけだしね。コレットの方が大変だったろうね」
 横を向いた表情が、火に照らされてひととき明瞭に浮かび上がる。窺えるのは労りの色。日頃あまり見せない柔らかな表情は、ひどく穏やかで、優しい。
「私よりゼロスの方が大変だと思うな。私は危ないことしちゃ駄目とかは言われたけど、権力争いとかはなかったもの」
「おまえはそれ以上に大変な目に遭ってたじゃないか! 色々辛い思いして、あのまま死んじまってたかもしれないってのに」
 コレットちゃんはそんなことないと笑うけれど。俺さまも、これに関してはロイド君と同意見。いくら美人の女神さまでも、体だけ乗っ取られてはいさよーなら、なんてのは真っ平御免だ。まあ俺さまは幸か不幸か男だから、差し出されたところで相手も困るだろうが。
「神子ってのはさ。立場を表す記号であって、個人を呼ぶ為の名前じゃない。コレットも、ちゃんと名前があるのに呼ばれなかったら寂しいだろ。それが親しい人なら特にさ」
「うん。私もみんながコレットって呼んでくれるの、凄く嬉しいよ。知らない人にはやっぱり神子さまって呼ばれるけど、仲良しならちょっと寂しいもんね」
「神子だろうがなんだろうが、コレットはコレットだし、ゼロスはゼロスだろ。やっぱさ、ちゃんとした名前があるんだから、名前で呼んで欲しいよな」
 なんともあっさりした物言いがやけに好ましく聞こえるのは、真実彼らがそう思っているからなのだろう。ありがたいけれどどこか気恥ずかしくて、なんとなく居心地が悪いようにも思う。裏も計算もない素のままの感情は、これまであまり触れることのなかったものだから。
「ん? でもそうすると、なんでゼロスはアホ神子って呼ばれて喜ぶんだ?」
「あれは喜んでるのかねぇ? まあ、心底いやがってるようには見えないけどさ」
 さて、と。
「それはだねー」
 ぱちん、と軽く音を立て、剣を鞘へと戻しながら。
「うわっ!! あ、あんたなんでいるんだいっ」
「あれ、ゼロスそこにいたんだね」
「ゼロスならさっきからずっとそこにいたぞー?」
 三者三様の反応を見て、にやりと意地悪く笑い身を乗り出す。位置的にロイド君からは見えていたはずだが、真後ろにいた二人は予想通りと言うべきか、やはり気づいていなかったらしい。
「ゼロスっ、あんたいつから聞いて……!」
「俺さま、ずーっとここで剣の手入れしてたのよー? コレットちゃんはともかく、しいなまで気づかないなんてシノビ失格じゃねーのー?」
 本人が聞いているとは知らずに話していたのだろう、真っ赤になって焦るしいな。平然と笑っているコレットちゃんとの対比が実に面白い。
「それでゼロス、なんで神子って呼ばれるのは嫌なのにアホ神子だったら嫌じゃないんだ?」
「考えてみろよハニー、世の中に神子って呼ばれる人間がどれだけいる? そりゃ同時に生きてるのは俺さまとコレットちゃんの二人だろうが、歴代の神子を全部数えたら結構なもんだぜ」
 実際に世界再生をしてその身を捧げた者も、そうでない者も含めて数えれば、現在に名の伝わっている者だけでも、軽く百は超えるだろう。
「神子ってのは、それら全部をひっくるめて呼ぶ名前なわけ。ま、それだけでもいい気はしないわな」
 長い繁栄に腐ったテセアラでは、神子の肩書きに付随する権力や金のおこぼれに与りたい者どもが擦り寄ってくることがままあった。そして逆に、それらが邪魔で隙あらば廃そうとする者も。彼らが見ているのは〝ゼロス・ワイルダー〟という個人ではなく、〝神子〟であるという看板だけだ。重要なのは己にとって御しやすいかどうかであって、そこに〝ゼロス〟としての人格の意義など存在しない。
「ところがよ。そのかなりの数いる神子の中で、勿体なくも『アホ』なんてつけられちゃう不良神子は……さぁ、何人いる?」
 大概の神子というものは、その求められる役割上、敬虔で慈愛に溢れ、我欲を抑え世に尽くす人格者だ。そうなるように育てられるし、またそうであれと望まれるから。
「そりゃ、ゼロスくらいだろうなぁ」
「あんたみたいなのが何人もいたら、とっくに神子制度は崩壊してるよ」
「そーゆーコト。アホ神子なんて言われちゃうのは俺さま以外にそういないってことで、それってつまり俺さま個人を呼んでるのと同じでしょー」
 人差し指を目の高さに立て、ちょちょいと振っておどけてみせる。
「そっか。だからゼロスは、しいなが特別なんだね」
 先ほどからずっとにこにこと、微笑んで聞いていたコレットちゃんから飛び出したのは、あまりに予想外の台詞。一瞬、呆気に取られ表情を繕うのも忘れて、多分相当に惚けた顔を晒しただろう。
「とっ、特別ってなんだい! 大体なんであたしが、……!」
 だがそれ以上に素早く且つ大仰に、頓狂な叫びを上げたしいなのおかげで助かった。このタイミングで突っ込まれていたら、ちょっと色々と、まずい。
「ロイド! コレット! 子供はもう寝なさい!!」
 そのしいなにとっても天の助けになったのかどうか、やや離れた位置からリフィルさまのお呼びがかかる。お子さま二人はしまったという顔で肩を竦めて、それから揃って「はーい!」と素直な良い返事。
「怒られちゃったな」
「それじゃ二人とも、おやすみ!」
 口々に言い置いて、ぱたぱたと保護者の元へ駆けていく。しっかりと手と手を繋いだ後ろ姿は、そろそろ見慣れてきたたものの、相変わらずとても微笑ましい。

「置いてかれちまったなぁ」
「あー……、そう、だね」
 なんとなくばつが悪い、けれど決して険悪ではないこの空気は、きっと天然少女の置き土産。
「なんか、コレットに誤解されてそうな気がするよ……」
 どうしよう、とごちて溜息を吐く、その隣にするりと近づいて。
「まあ、事実だからいーけどな」
「え、っ」
 声を上げるのを軽く制して、細い腰を腕の中に閉じ込める。これまたシノビらしからぬ反応の鈍さで、抜け出せないでいるうちにさっさと感触を楽しんだ。
「うん、事実。だってしいなは特別だし?」
 慌てて藻掻きだした時にはもう遅い。弱いのを承知で唇を寄せた耳元に、わざと低めた声音で囁く。途端、ぴたりと停止する所は、以前よくこうしていた頃と変わらない。
 暫しの間そのまま、柔らかな肌を堪能する。やがて少しは慣れたのか、落ち着いたらしいしいなが口を開いた。
「あたしが、あんたを神子って呼ばないのは」
「うん?」
「あんたが名前で呼ばれたいだろうって理由じゃないんだ」
「あれ、そーなんだ」
 意外な事実。さっきまでの会話の流れだと、そうだとばかり思ったのに。
「一度さ……、あんたの護衛、したことあるだろ。教会の儀式の」
「あー、あったなーそんなことも」
 それは確か、まだ彼女と『おつきあい』をしていた頃のこと。たまたま身辺に不穏な気配のある時期で、でもどうしても外せない〝神子のオシゴト〟が入っていた。一般人の前に立って祈るものだから、代理を立てるわけにもいかず。だからどうせならと、身近にいた彼女を指名した。
「あの時に、初めて神子の仕事してるあんたを見た。なんだか、それが凄く……苦しそうに、見えてさ」
 後ろから抱いている状態では、腕の中のしいなの顔は見えない。彼女からこちら側も、また同じく。見られないのをいいことに、だから沈黙で続きを待った。
「あたしが、見たくなかったんだ。神子って呼んだら、またあの時みたいな顔するんじゃないかって……それが嫌だから、呼べなくなった」
「……でもアホ神子は、呼ぶんだ?」
 自然に笑えたのが不思議だった。でも、悪くない。
「あれはだって、その……咄嗟に出るから、つい」
 弁解のつもりか、振り向こうとするのを押し止める。代わりのように抱き寄せて、ぬくもりを分け合って温めた。
「いーんじゃねーの? 俺さま結構好きよ、それ」
「……嫌じゃないのかい?」
「コレットちゃんも言ってたっしょー、俺さま嬉しそうだって。あの子がそう言うならそーなんでしょーよ」
 ややあってから、それならいい、と。呟いた声は恥ずかしそうで、消え入りそうに小さかったけれど。きっとこういうのが幸せってヤツなんだと、この時は素直にそう思えた。

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