飛べないままでいいの

 それは、初めて聞く台詞だった。

「俺さまの本気、見せてやるよ!」

 瞬間、背筋がぞわりと粟立った。
 目の前に現れたのは光の柱。眩く輝くその中心で、彼の背に広がったのは透き通った金茶色の、……一対の、羽。それはとても美しい光景で、いつも軟弱に笑ってばかりいる彼の珍しく凛々しい勇姿であって、事実神々しいまでの壮麗さであったのに、

「――いや、だ」

 何故だろう、ひどくおぞましいものを見たような気にさせられたのだ。


「どーよどーよ、俺さまのうっつくしぃ~必殺技はぁ」
 もうすっかり普段通りの、へらへらしたにやけ顔で嘯く姿はお馴染みのもの。ただひとつ見慣れないのは、その背に未だ存在を主張する、鮮やかな色の羽だった。ひらりひらりと動く度、燐光を撒き散らし煌めくそれは確かに綺麗なのだと思う。日頃のふざけた言動のせいで三枚目に見られがちだが、容姿が整っているのは自他共に認めるところだから、そのきらびやかな装飾が不似合いだなどということはない。ないのだけれど、ならば何故こんなにも、この胸は早鐘の如く鳴るのだろう。
「んー? どーしちゃったのしいな。まさかこの麗しのゼロスさまに見蕩れちゃったー?」
 減らず口を叩きながら、踏み出した爪先が地を離れる。そのままふわり、低く空に浮かぶ様は、同じく羽を持つ少女の姿を思わせた。
「しいな? ホントにどーしたのよ、どっかケガでもした?」
 問う声に滲むのは不審と疑念。でもそれは先ほどから一言もないあたしへの心配から来るものだから、そこに他意などあるはずもない。なのにまだぷかりと浮いたまま、ふわふわと近寄ってきたその様子に、身震いするほどの嫌悪を覚えてしまうのは何故?
「顔色、真っ青だぞ。回復しとくか? 俺さまで不足ならリフィルせんせーに、」
 言いさして覗き込むのを首を振ることで遮って、どうにか震える唇に力を込める。
「それ、しまって」
 やっと出てきたのはそれだけで、当然だろう、言われた彼は判りかねたと見えて、即座には何の反応もない。
「え、……それ、って?」
「それ。その羽……頼むよ、しまっとくれ」
 鸚鵡返しに問い返されて、漸くまともな言葉を紡げた。
 多分、真っ青だと言う顔色はまだそのままだろうし、自分でもはっきりわかる声の震えも、すぐには収まらないだろう。それでも、ああこれねと呟いたその瞬間にさらりと消えた輝きと、とん、と軽く音を立て地に降りた見慣れた姿に、ほっと安堵して力が抜けた。
「そーんな顔するほど似合わなかったかねー? 俺さま結構サマになってたと思うんだけど」
 言葉と裏腹に苦笑混じりでそう言うのは、理由なんてちゃんとわかっているからだ。その証拠に宥めるようにぽんぽんと、頭に手をやってみたりしているんだから。
「似合ってたよ。似合いすぎて……見たくない」
 だってそれは、少しずつ人間らしさを失っていった彼女を、どうしても思い起こさせるものだから。ひとりの身に背負うには重すぎる犠牲を強いて、人を人でなくさせるもの。そして何より、それはあんたが一番嫌ってた、『神子』の立場にあんたを縛りつけるための象徴、だから。
「まー、出してなきゃ天使じゃないってわけでもねーんだけどな」
 髪を些か乱暴にかき上げながら、言う声色は優しかった。
「そんなの、わかってるよ」
 わかってるけど。
 それでも、あんたのそんな姿は見たくないんだ。
「人間のままでいとくれよ。あんたが天使さまじゃあ、ありがたみが薄れちまうじゃないか」
「うわ、ひっでー言われよう」
「大体そんな柄じゃないだろ。あんたは地面を這いずってるのがお似合いさ」

 神子さまでも天使でもない、気障でおしゃべりで情けなくて、セクハラばかりする女好きの、人間臭いあんたがいい。

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