Snow light

 昔から、寒いのがどうにも苦手だった。暑いのは得意かというと別にそうでもないのだが、どちらが凌ぎやすいかと問われたら悩まずに後者だと即答できる。そんなあたしだから当然、この一年中雪に覆われた街を出歩くのはできるだけ避けたいところだった。叶うなら室内に引き籠もって、赤々と燃える暖炉の前から片時も離れず温もっていたい。勿論、実際はそんなわけにはいかないのだけど。
「――ったく。どこ行っちまったのさ、あの馬鹿は」
 目の前にはいない相手に毒づいて、大袈裟な溜息を吐き捨てる。ざくざくと踏み固められた雪を蹴散らしながら、通りを足早に進んでいった。

 買い出しに行ったゼロスが帰ってこないの、と心配そうに申し出たのはコレットだった。その場にいた仲間たちの中で顔色を変えたのはリーガルだけで、他は皆またナンパだろうと軽く笑った。いつもならあたしもそう思う、どうせどこぞで女の子と遊んでいるのだろうと。でもそれは、この街だけに限っては有り得ない。事情を知る者は恐らく他にいない、故に視線だけで短い会話を交わしてすぐに、探してくるよと宿を出た。わざわざ行かなくてもと言われたが、きっと何も知らない彼らへの対応はリーガルがうまくやっておいてくれるだろう。
「ここにもいない……」
 幸いなことに雪は止んでいたが、日も暮れかけた夕刻の冷え込みは厳しい。細い路地を覗き込み、探す人影のないのを確かめるとぶるりと大きく身を震わせた。気休めにもならないとは知りつつも、両腕で我が身をかき抱く。途端、くしゅんと堪えきれないくしゃみが出た。
「……これじゃあたしが先に風邪引きそうだよ」
 呟いて一層足を速める。見つけたら絶対殴ってやると、心に決めて先を急いだ。あの馬鹿の行きそうなところはと考えれば、自然人気のない裏路地へと足が向く。いつもなら人通りの多い華やかな場所をこそ好むはずだが、こんなときには一人になりたがるのを知っていた。面倒なやつ。まあ、あたしだってあまり人のことは言えないけれど。
「だいぶ遠くまで来ちまったねぇ……って、あっ」
 入り組んだ路地を通り抜け、やや開けた場所に出て視線を巡らせたその片隅に、やっと探していた紅を見つけた。煉瓦作りの塀に背を預け、椅子もない地面に直に座り込み、やや俯き加減で虚ろに空を眺めているその様子は、どう見ても時間を忘れるほど楽しそうには思えない。ただ一応買い出しにはちゃんと行ったらしく、傍らに中身の詰まった袋が置かれていた。その袋にも、座り込んでいる男の肩と頭にも、少なくない量の雪が降り積もっている。つまりはそれだけの時間、ずっとここでこうしていた、と。
「……何やってんのさ」
 さくさくと雪を踏み締めて、目の前まで歩み寄りそれから声をかけた。緩慢な動きで顔を上げた男は、ああ、と気の抜けた声で答えて口の端を上げる。笑おうとしたんだとわかったけれど、それはとても笑顔と呼べるものではなかった。見ている方が痛い、そんな表情。
「悪い、ちょっとぼーっとしてた」
「ちょっとじゃないよ。何時間経ったと思ってんのさ、コレットが心配してたよ」
「あらら、そりゃどーも」
 平静を装った受け答えに覇気がない。いつもの軽快さの欠片もない反応は、決して寒くて凍えているからではない。
「いつまでへたり込んでる気だい。さっさと立ちな」
 言いながら差し伸べた右手を、彼は珍しいものでも見るようにまじまじと見つめるばかりで取ろうとしない。ほら早くと促しても黙ったまま、数秒も経ってからやっと口を開いた。
「なんか、感覚なくなっちゃった。腕上がんないからちょっと待って?」
 まるでたった今笑い方を思い出したように、へらりと笑いながらそんなことを言う。こんなところでいくら待ったって、温まったりはしないのに。
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ」
 待ってなんかやらないよと、言葉より行動で示したかった。屈み込んで男の体に両手を回し、力任せにぐいと持ち上げる。かなり強引で危なっかしい方法だったが、無理にでも立たせることはできた。
「う、わ……っ!」
「――っと」
 しかし足先の感覚もなかったらしい男がふらついて、その体重がのし掛かってきたのは予想外だった。支えきれずに倒れかけたのを、なんとか踏みとどまった男に逆に抱き止められる羽目になる。
「ばーか。無茶すんなっつーの」
 苦笑されて反射的に顔を上げ、言い返そうとした瞬間に目が合った。薄く儚げに微笑むみずいろ。ひどく疲れたような、憔悴したような微笑はとても綺麗で、だからこそ胸を締めつける。文句も慰めも労りも、何ひとつ言葉が出てこない。ああやっぱりあたしは無力だと、思ったらじわりと涙が滲んだ。
「なんでおまえがそんな顔すんの?」
 困ったように笑われて、答えられなくて目を閉じた。そのまま胸に顔を埋めて、子供のようにぎゅっとしがみつく。ややあってふわりと触れてきた手が、そっと柔らかく頭を撫でた。芯から冷え切った手は冷たかったけれど、どうしようもなく優しくて余計に涙を誘う。
「しいな」
 囁くように呼ぶ声だけが、温かくてひどく切なくなる。
「あったかいな、おまえは」
 僅かなぬくもりを分け合うように、どちらからともなく抱き合った。本当は力の限り抱き締めたって、この苦しみから逃れられるわけじゃない。そんなことは多分互いに知りすぎていて、でもそうしなければ立っていられなかった。縋るものがなければ前を向けない、その思いは今もわかりすぎるほどにわかるから。
「……あんたが冷たいんだよ、馬鹿ゼロス」
 ようやく声になった言葉に、返されたのはやはり苦笑。
「そっか。そーだな」
「そうだよ、だから」
 早く帰って温まろう。
 たった独りで過ごすには、きっとこの場所は寒すぎるから。

 

奏様より:フラノールでのちょっとシリアスなゼロしい

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