欠片の占有率
『それ』が宿の窓越しに、見えたのは単なる偶然、だった。
「やあ、美しいあなた。本日は御機嫌麗しく……」
ちょうどこの部屋の真下に見える、広場の中央に位置する噴水。その傍らに佇む女性に、声を掛けている見慣れた姿。
普段は絶対に見せないような、余所行きの笑顔は羨ましくなんて全然ないのに何故だかやたら眩しく見えて。それ以上見ていられなかったから、窓にくるりと背を向けた。そのまま大股で歩を進め、勢いよくベッドに腰を下ろす。どすん、と割合派手な音がして、マットレスのスプリングが振動した。
「ここはメルトキオじゃないってのに。ナンパばっかりしてんじゃないよ、アホ」
誰にともなく呟いて、それからはぁと溜息ひとつ。どういうわけかここ最近妙に大人しかったから、久々に見たその光景に何故だか苛立ちを覚えてしまう。それくらい別になんということもない、あのアホの習性みたいなものなのに。
声を掛けられていた相手の女性は、特に着飾っている風でもなかった。どこにでもいそうな平民の女、年齢はちょうどあたしと同じくらいか。人目を引く美貌というわけではないが、穏やかな人柄の窺い知れるような、柔らかい笑顔が綺麗だった。
「……遠目が利くのも考えものだね」
無論天使化の影響が残るコレットには遠く及ばないものの、仕事柄目と耳は常人以上に研ぎ澄ましている。あいつは遠目にもぱっと目立つ派手な色彩だから、視界に入ればついつい注意が行ってしまう。ただそれだけで、だから何も気になって追い掛けていたわけじゃない。
「あの子嬉しそうだったなぁ……」
ふざけていなければ、奴は相当の美形なのだ。見目麗しい青年、それも貴族に声を掛けられたら、若い娘なら悪い気はしないに違いない。かく言うあたしもそもそもの始めはそのパターンで、しかし鬱陶しいばかりでカケラも嬉しくはなかったがまあ、それはともかく。
多分あいつは、あの子を引っかけてどうこうしようとは思っていまい。ただ美人とみれば声を掛けずにいられないだけ、しばらく会話をして楽しんで、それでおしまい。ならば尚更、もしもそれ以上の何かがあるとしたって、あたしには関係のない話。そう、あいつが誰と何をしていようと、あたしには、何の関係も。
「……ない、けど」
胸の内に巣くうのは、もやもやと形容しがたい苛立ちと焦燥。その正体が何かは知っている、だけど絶対に認めたくない。だってそんなの、今更なのに。そんな思いを抱く権利も、それに値する立場でもないのに。
「――ああもう、やめやめ!」
こんなこと考えていても仕方ない。
ぱちんと両の手で頬を叩き、更に頭を軽く振る。よし気合いが入った、これでもう馬鹿な考えはやめにしよう。
「買い出しにでも行こうかね」
自分に言い聞かせるように、殊更明るく言って立ち上がる。そのまま扉へと歩み寄り、ノブを捻って押し開いた。廊下に一歩踏み出したそこに、居合わせたのは件の男。
「あ」
「ありゃ、しいなじゃん。どっか行くのー?」
出かけるんなら俺さまも行くー、なんて軽く言ってのけたその男は、片手に何かを握っている。
「ん、コレ? さっき下でハニーにもらったの。ロイド君が欲しがってたヤツ」
視線を辿って気づいたのか、差し出された手の中身はレアペリット。そういえば確かに、彼はこのところこれを集めるのに随分熱を上げている気がする。
「もしかして、あんたが最近ナンパしまくってるのは……」
「ご想像通り、ペリット集めに協力してんのよー。俺さま結構頑張ってんだから」
だから褒めてと笑う男に、誰が褒めるかととりあえず怒鳴る。ついでに拳を握ったら、やめてひどいと抗議された。
「なーによー、しいなちゃんてば御機嫌斜め? もしかしてやきもち焼いちゃってたりした?」
「焼くわけないだろ!? なんであたしがあんたなんかにっ」
「あー、その反応は図星だな。もー、隠さなくっていーのにー」
「だから隠してなんかない!」
「いってー! いきなり殴るなよなもー!」
ぷうっとふくれた顔を見て、それから先ほどの笑顔を思い出す。甘く整った微笑とは似ても似つかぬ情けない表情、でもこの方がずっといい。
そう思ったら、自然くすりと笑みが零れて。
「しーいなー。なんで笑うのー?」
納得いかないと不満げな男に、なんでもないよと告げて歩き出す。
待てよと慌てて追い掛ける声も、ぱたぱたとついてくる足音も。
今はあたしだけが全部、独り占め。
- 2010/06/24