時には昔の思い出を

 グローブを外した素手の掌で、前髪を掻き分けぺたりと額に触れてみた。日頃触り慣れているというわけでもないが、それでもやっぱりというかなんというか、明らかに平熱ではない熱さだった。
「熱あるな」
 端的に一言。言い切ってはあ、と溜息ひとつ。
「そんな気は、してた……」
「だから言っただろーに、無理して見張りなんかするなって。折角親切な俺さまが代わってやるっつったのによー」
 今いるこの町に着いたのはついさっき、もう今日の日も暮れようとする頃合い。昨晩は街道近くの森で野宿したのだが、深夜から急に冷え込んだ気温は朝になるまで上がらなかった。そしてその一夜の間、見張り当番に当たっていたのが彼女なわけで。
「うぅ……だって昨日は、まだそんなに」
「まだ、ってことは万全な体調じゃないのは自覚してたワケだ? そーゆーのが無理してるっつーの、わかってる?」
「……ごめん、なさい」
 珍しく素直に謝られたのは、熱のせいで消沈しているからだろうか。しゅんと眉尻を下げてしまわれると、やや苦しげな表情と相俟って何やら不憫に思えてきた。仕方ないなと溜息をもうひとつ、それからベッドサイドに置いた椅子へと腰を下ろす。
「わかったならいーの。もうしないな?」
 なんだかいつもと立場が逆だな、なんて思って苦笑しつつ、枕辺に肘をつく形で覗き込む。これまた素直に頷いたしいなに、意識して柔らかく笑いかけ、上気した顔に手を伸ばした。
「さてと。少ないけど飯は食ったし薬も飲んだし、あとはゆっくり休むだけだな」
 熱を持った頬には触れた手の冷たさが心地いいのか、目を細めてそっと擦り寄ってくる。その仕草が妙に幼く見えて、なんとなく『じゃあおやすみ』とは言い辛くて。
「なんか欲しいもんとかある? してほしーコトでも、なんでも」
 病人だから特別サービス、そんな軽い気持ちで申し出た。彼女は熱で潤んだ瞳をまんまるにして、驚いたようにぱちりと瞬く。それからその目を恥ずかしそうに少し伏せて、か細い声でこう言った。
「じゃあ、……側に、いて?」
 なんとも控えめ過ぎるお願いに、今度はこちらが呆気にとられる。
「そんなんでいーの?」
 言われなくても離れるつもりはなかったから、なんだか拍子抜けしてしまった。だって具合の悪い人間には、誰か付き添って伽をするのが当然だろうに。まさかミズホでは薬を与えて寝かせてしまえば、後は目を放して放っておくのが習いというわけでもあるまい。
「うん。それでいい……」
 だが敢えてそれを頼むからには、何か理由があるのだろう。悪戯に問い詰めて不安にさせるのも悪しかろうと、それ以上は触れないことにした。ただそれではこちらの奉仕意欲は満たされないから、もう少し何かないものか。
「他にはなんかねーの? こんな時くらい甘えとけよ、遠慮はナシだぜ」
 親指だけで頬を撫でながら、なるべく優しく聞こえるように。問い掛けたことへの返答は、ひどく不安げな色を宿していた。
「ほんとに、言っていいの……?」
「遠慮はナシっつったでしょ。言ってみろよ、俺さまにできることなら聞いてやるから」
「……えっと、じゃあ……あの、ね」
 幾分小さくなった声を聞き逃さぬよう、少し前屈みに顔を近づける。そうしてなあに、と促すと。
「一緒に、寝て……?」
「……へ?」
「だ、駄目ならいい! ただその、昔……おじいちゃん、が」
 風邪引いた時にはいつも、一緒の布団で寝てくれたから。それがとても安心したから、だから。
 並べられた理由はなるほど納得できるもの、何しろ当時の彼女はといえば、まだ年齢一桁前半の幼子であったのだろうから。普段は独り寝させていても、熱を出してむずかる子には付き添ってやるのが一般的な保護者だろう。まあ、俺さまの一般的でないご立派な親はそんなこと一度もしちゃくれなかったが。いやいやそんなのはこの際どうでもいいんだ、問題は。
「そのー、なんだ。つまり……俺でいーの?」
 そりゃまあ添い寝はしたことありますけど。でもそれって二人が所謂『おつきあい』をしていた頃で、結局手は出さなかったにしても特別おかしなことじゃなかったわけで。
 必要とあらば日頃から仲良しのコレットちゃんやリフィルさまを呼んでくることもできるこの状況で、何故に敢えてこの俺なのか。なんとなくわからないこともないような気はする、けれどそれはまだ今気づいてしまってはいけないことだ。

「――あんたが、いいんだ」

 だからそう、単に今この場にちょうど居合わせたから。
 理由なんて、ただそれだけでいいじゃないか。

「……了解しました、お姫さま」

 バンダナを外して上着を脱いで、シングルベッドに潜り込む。二人で寝るには狭い場所故、自然ぴったりと寄り添う形にならざるを得ない。
「ちょっと狭いけど、だいじょーぶ?」
「うん、平気……」
 別に疚しい気持ちからでなく、必要上仕方なくしいなの体を抱く形になる。でなければいずれどちらかが確実に、ベッドから落っこちてしまうに違いないので。
「んー、ちょっと納まりが悪いな……」
 一緒に寝る、とは言っても何も隣り合って就寝するというわけでなし。休息が必要なのはしいなだけだし、狭いベッドで落ち着くにはやはり、必然的に。
「しいな、ちょっと頭上げて」
「ん……、こうかい?」
「そうそう、それでおっけー。そんでこーすれば……ね?」
 ほら納まりがよくなった。
 現状を簡単に説明するならそう、腕枕をしている状態、だ。昔もこうして寝たっけなぁ、俺さまは一睡もできなかったけど。なんて懐かしく少しほろ苦く、思い出しながら髪を梳いてやる。しいなは嫌がる様子もなく、あの頃のようにするりと身を寄せてきて、それで落ち着いたようだったから。
「これでいい?」
「……うん。いい」
「そっか。それじゃもう寝な、おやすみ」
 今だけは昔に帰ったように、しっかりと細い体を抱き締めて。
 そばにいるよと囁いたら、甘く微睡む声が微かに、うん、と応えを返してくれた。

萩野紅葉様より:しいなが寝込んでゼロスに腕枕してもらうお話

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