敢えて言うならば君と過ごすひとときを

 この世に生を受けてからというもの、日々の糧に事欠くことは一度もなかった。叔父のクーデターによって城を追われた一時期を除けば、衣食住に不足を感じた経験などまるでない。常に暗殺の恐怖に怯える暮らしではあったから、精神的充足という点においては人並み以下だったかもしれないけれど。
 金で買える類のものならば、望めばなんでも手に入った。ただ幼少よりの教育の成果か、或いは生来の性格か、いずれにしろ物欲には乏しい方だったから、その境遇にも大してありがたみを感じたことはない。それは今に至っても大差なく、従って何か欲しいものはと言われてもすぐには思いつかないような、恵まれた生活が出来ているのだが――。

(……困ったな、これは)
 目の前には大きな瞳を輝かせて、僕の返事を待つ少女がひとり。今し方彼女に突きつけられたその問いは、一般的にはさして難しくもないことだろうと思う。でもそれは少なくとも僕にとっては、なかなかの難問だったのだ。
 さてなんと答えたものだろう。考えてもすぐには思いつきそうにもなかった。僅かばかりの時間を稼ぐため、空になった彼女のカップを取り上げる。そうしてポットから新しい紅茶を注ぎながら、ぐるぐると頭を悩ませた。
『ねえ、リチャードは誕生日のプレゼントに何がほしい?』
 それが彼女から出された質問だった。といっても、僕の誕生日はそれほど近いわけではない。前年の誕生日とこの次に来るその日とを比べたら、次の方がやや近いかなという程度だ。なのに何故そんな問いが出てきたかというとこれは単純な話で、まだ記憶に新しいつい先日に、アスベルがそのめでたい日を迎えたからだった。生憎と僕はどうしても、本当にどう足掻いても外せない公務で一日中忙殺されていて、ラント領主邸で行われた祝宴に参加することが敵わなかった。仕方なく祝いの品と手紙とを使いの手に託して贈ったけれど、持参して手渡しする気でいたのに出来なくなってしまった悔しさといったら、今思っても筆舌に尽くしがたい。
 ちなみにその日僕が贈った品はというと、彼が以前から欲しがっていたホルダーのひとつだ。著名な作家の手による一点物で、実用性よりも芸術品としての色合いが強い。そのため祖父の代に王家へと献上されたきり、仕舞い込まれていたものを探し出してぴかぴかに磨くのはそれなりに骨の折れる作業だった。無論、それも親友の喜ぶ顔を思えばこその苦労だったのだが。
「……リチャード?」
 名を呼ばれてはっと我に返った。そして縁まで一杯になりかけていた紅茶を見、慌てて手を止めてポットを置く。客人に出すには躊躇われる状態になったカップを見下ろして、どうしようと内心冷や汗をかいた。
「いっぱいだね」
「うん、ちょっと入れすぎてしまったね……」
「いいよ、わたし気にしないよ」
 朗らかに笑ってくれた彼女の言葉に、ありがたく頷いてそっとカップを渡した。零さないように細心の注意を払って、そろそろと受け渡す手つきは互いに怪しい。なんとか元あった場所に無事収まると、揃ってほっと安堵の息をついた。同時に、示し合わせたようにくすりと笑う。
「いただきます」
「うん、どうぞ」
 溢れそうであっても遠慮なく、けれど慎重に角砂糖を入れる姿を微笑ましく見守りつつ、引き続き回答を考え始めた。欲しいもの。他の誰かのではなく、僕自身の。
(本当に、花でよかったんだけどな)
 彼女に見つからないように、密やかに苦笑して最初の回答を思い出す。君の育てた花が欲しいと、真っ先に思いついたことを素直に告げた。それは紛れもなく本心だったのに、あっさりと素気なく却下されてしまったのだ。『お花なら誕生日じゃなくてもいつでもあげるよ!』と、至極もっともな台詞と共に。
(だってそれ以外に欲しいもの、なんて)
 それも彼女に用意できる範囲のものといったら。

 ――君が欲しい、なんて本音を言うだけの勇気は、まだ僕には少し足りないみたいなんだ。

 

結局妥協した結果がタイトル。

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