片恋相思
ソフィ、と呼ぶ声に振り向こうとした。それができなかったのは、不意に伸びてきた腕に柔らかく包み込まれたからだ。あんまり優しくて温かくて、何が起きたのか一瞬わからなかった。さらさらの金髪が頬にふわりと触れて、それでやっと抱き締められているんだと気づく。
「リチャード?」
嫌だとは全く思わなかった。ただなんの前触れもなかったから、どうしたんだろうと不思議に思ったのだ。でもリチャードは答えてくれず、代わりにわたしを抱く腕に少し力が籠もる。痛いほどではない、苦しくもない、なのになんだか胸がざわざわした。それが何故なのかよくわからなくて、わかりたくてきゅんと切なくなる。
「リチャード、どうしたの……?」
もう一度訊く。でもやっぱりリチャードは何も言わない。ほんの少しだけその腕が震えている気がした、けれどそれはわたしの思い過ごしなのかもしれない。
最近のリチャードは、時々こんな風になる。大体いつも顔は見えなくて、でもたまに見えるときはなんだか辛そうな表情をしていた。何かあったのかと尋ねてみたことがあるけれど、なんでもないよと笑って言われた。じゃあどうしてと重ねて訊いても、曖昧に笑うだけで答えてはくれなかった。
「……黙ってたらわからないよ」
ちゃんと返事をしてほしかった。何か辛いことがあるのなら、隠さずに話してくれればいいのだ。わたしに出来ることがあるならなんでもするし、何もなかったとしても一緒に悩んであげたかった。それはとても嬉しいことだって、心が楽になることだって、今のわたしは知っているから。
「ねえリチャード、」
「――ごめん」
言いかけた言葉を遮って、やっと聞けた声は唐突な謝罪だった。なんで謝るのと言う前に、柔らかな拘束がすっと緩む。
「……髪、が」
長い指がさらりとわたしの髪に触れた。くるくると絡めるように弄び、徐に放すとまたすとんと落ちる。それを数度繰り返し、合間にごく小さな溜息が何度も混ざった。
「少し、絡まっていたから。でももう直ったよ」
驚かせて悪かったねと、言う声は不自然に硬い。その理由が本当かどうかはわからないけれど、きっとそれだけではないんだろう。そこまではわたしにもわかるのに、その先がどうしてもわからなかった。わからないことが悔しくて、じわりと涙が滲みそうになる。泣くことが出来るようになって随分経って、逆にそれを我慢することも少しは覚えた。でも今はすごく頑張っていないと、溢れてしまいそうなくらい心が痛い。
「……そうなんだ。ありがとう」
隠し事をしないで、ちゃんと教えて。そう言いたい気持ちを抑えてお礼だけを言う。どういたしましてと答えたリチャードは、もういつも通りの声に戻っていた。今更振り向いて見た顔はやっぱり見慣れた穏やかな微笑で、それ以上の何も読み取れない。
「リチャード、わたし……」
わかるようになりたいよ。リチャードの思っていること、全部。
そうしたらきっと、この胸がどうしてこんなにも切なく疼くのか、それもわかるような気がするの。
「なんだい、ソフィ?」
「……ううん。なんでもないの」
言いたい、だけどまだ言えない。それがどうしてかはわからない。
首を傾げて目を瞬くリチャードに、もう一度なんでもないよと言って笑った。多分納得はしていないようだったけど、今はそれでも構わない。
――この気持ちがいつかわかるようになったら、言うね。
その日がそんなに遠くないといいなと、胸の内でひとり静かに祈った。
- 2011/05/11