幸運と不運は紙一重
王宮では掃除も洗濯も食事の用意も、全て使用人の仕事だったから直に手を出したことはなかった。だがこうして仲間達と旅の空にあれば、そういったことは皆持ち回りでやることになっている。とはいえ、率先してやってくれる人がいるとどうしても、甘えてしまいがちなのは否めない。
「大変そうだね。シェリアさん、僕も手伝うよ」
これを運べばいいのかなと、布らしきものがぎっしりと詰まった籠を指しつつ声をかけた。その中身が洗われて濡れたままの洗濯物であろうことは、それとなく見ればすぐにわかる。
「あっ、いいんですよ陛下。私がやりますから」
「そう言わないで。女性に重いものを運ばせて、手伝いもせずに見ているなんてできないよ」
「……そうですか? じゃあ、お願いします」
すみませんと律儀に頭を下げるのを、気にしないでと笑いながら。よいしょ、と籠を持ち上げて、シェリアさんの案内に従って歩き出した。
「結構な量だね」
「まあ、七人分ですから。普通の一家族分より多いくらいですよね」
「一人では洗うのも大変だろう? アスベルは手伝ってくれないのかい?」
「アスベルは教官と武器屋に行くって言ってました。そういうの、気が利かない人ですから」
「……やれやれ。帰ってきたら注意しておくよ」
そんな会話を交わすうちに、宿の裏手にある物干し場へと着いた。日当たりも風通しも良さそうなこの場所なら、この量の洗濯物もすぐに乾くだろう。ここでいいですよという言葉に従い、籠を下ろしたがそれではと去る気にもならなかった。
「折角だから干すのも手伝うよ。不甲斐ない親友の代わりに」
親友の代わり、という言葉が効いたのだろうか。固辞されるかと思った申し出は、暫しの沈黙の後、苦笑と共に受け入れられた。
「私はこっちから干していくので、陛下はそっち側をお願いできますか? 大きいものから順番に、色別にお願いします」
「ここから……色別に、だね。うん、わかったよ」
手順をしっかりと確認してから、籠の中の布に手を伸ばした。シェリアさんのするのをちらちらと見て、真似をしてひとつずつ干していく。数回繰り返せば要領が掴めて、さくさくとこなせるようになってきた。鮮やかな水色のシャツを干しながら、これはアスベルのだなと判別できる程度には余裕も出てくる。
「次は……白か」
青系統の布がなくなって、次に出てきたのは白い上着。多分ソフィのものだろう。女の子の服だからと丁寧に扱い、干し終わったところでさあ、次は。
「シェリア、わたしもお手伝いするよ!」
「あらソフィ、ありがとう。じゃあこれをお願いするわね」
反対側で上がった声に、ふとそちらに顔を向けた。ちょうどよくこちらを見ていたソフィと目が合って、あれ、と意外そうな顔をされる。
「今日はリチャードもお手伝いなの?」
「うん。アスベルの代わりをしようかと思ってね」
そう言って微笑みながら、作業を再開するべく手にしていた布をぱっと広げた。思ったより、だいぶ小さかった。
「リチャード、それ……」
ソフィのどこか固い声と、予想外の感触とに驚いて視線を落とす。ほぼ同時に、「あっ」というひどく焦った調子の、シェリアさんの短い悲鳴が耳に届いた。限りなく嫌な予感に襲われつつ、まじまじと見つめた手の中の『それ』は――。
「……ご、ごめんソフィ! これは別にそんな、疚しい気持ちでは……!」
落としたら折角洗ったものが汚れてしまう、というよくわからない思考だけが働いて、『それ』を握り締めたまま物凄く怪しい弁解をする。動転した気持ちを如実に表すかのように、普段絶対に出さないような、ひっくり返った声が出た。
「とにかく僕は何も見ていないから! 触っ……てはいるけど、それは不可抗力というか、わざとじゃないというか、だから……!」
白地に猫のプリントが可愛いとか、リボンのワンポイントが女の子らしいなあとか、そんなことは全然記憶に残っていない。全力で消去したからあるはずがない。だから許してくれとはとても言えなかったが、少しくらいは情状酌量の余地を認めてほしかった。けれども。
「…………リチャードのえっち! もう知らないっ!!」
頬を鮮やかな真っ赤に染めて、両の拳を固く握り締めて。投げつけるように叫んだ彼女は、勢いよくくるりと踵を返す。そして長いツインテールを靡かせて、見とれるほど完璧なフォームで駆け出した。
「ま、待ってくれソフィ! これは誤解なんだっ……!!」
裏返った叫びが虚しく響く。その姿が完全に見えなくなるまで、さしたる時間はかからなかった。伸ばした手に何も掴めぬまま、全身の力が抜けていく。それ以上体を支えていることすらできなくなって、重力に従いがくりとその場に膝をついた。
「ご、ごめんなさい……。私、下着類は全部こっちの籠に移しておいたつもりだったんですけど……それだけちょっと、忘れちゃってたみたいで……」
おろおろと申し訳なさそうに、言ってくれるシェリアさんにはきっと罪はない。彼女を責めるつもりもなかった。ただ先ほどのソフィの言葉が、ぐるぐると頭の中を回り続けていて、それ以外の何も考えられそうにない。ああいっそこのまま体ごと、地中深くまで沈めればいいのに。
「あの、陛下……大丈夫ですか……?」
多分、大丈夫ではないと思うよ。そう答えるだけの気力すら、今は奮い起こすことができなかった。
- 2011/07/31