朝日より眩しい

 多分悪い夢を見ていた、と思う。
 内容など仔細には覚えていないが、朧気に残っている感覚は鈍い痛みと息苦しさと、狭い檻にでも閉じ込められたかのような行き場のない閉塞感。それはラムダと融合していた頃のものか、それ以前に敵兵に斬られて血染めの床に沈んだときか、はたまたもっとずっと昔、叔父の手で毒を盛られたときに経験したものだったろうか。
 いずれにせよそれは夢だと、現実のものではないとわかっていたのに、そこから逃れることは容易ではなかった。辛い出来事に際して「夢なら覚めてくれ」などと思うことはままあるが、それで状況が変えられるわけでもないのと同じく、本当の夢であっても自らの意志のみで打開するのは難しいらしい。
「……ド、リチャード。ねぇ、起きて」
 だからどこからともなく聞こえてきたその声は、正に今の己にとって、救いの御手に等しかった。
「もう朝だよ。起きて一緒に朝ごはん食べよう」
 ゆさゆさと遠慮なく揺さぶられ、それが呼び水となったように暗い世界に光が差し込む。次いで身を苛んでいた痛みが消え、苦しかった呼吸もすっと楽になった。ふわりと体が軽くなって、意識が表層に上昇していく。
「う、ぅ……」
 呻きながらほんの僅か身動ぐと、思いの外楽に動けるのを自覚する。では今ならばきっとできるはず、そう思ってぱかりと瞼を開いた。
「リチャード、起きた?」
 ああ起きたよ、おはようソフィ。
 何の変哲もないその挨拶を、口にしようとして違和感に気づく。朝の眩しい日差しを背負い、長い髪をきらきらと輝かせながらこちらを覗き込んでいる彼女の顔は――何故こんなにも視界いっぱいに、大写しになっているんだろう?
「……なっ、ソ、ソフィっ!?」
「おはようリチャード。どうかしたの?」
 きょとんと首を傾げて不思議そうに、言うソフィとの距離はやっぱり近い。下がろうにも背後には当然の如くベッドがあり、彼女から離れてもらうより他に道はなかった。けれどその当のソフィはといえば、全く離れようとする気配もなく、どころか屈み込んで更に顔を近づけてくる。
「どこか痛い? 苦しい?」
「だ、大丈夫だよ。僕は平気だから、ソフィ、ちょっと離れようか……!」
「でもリチャード、さっき苦しそうだったよ。本当に大丈夫?」
 いつ何時でも曇りなくまっすぐな瞳と同じ、鮮やかな菫色の眉が心配そうに寄せられている。彼女が苦しそうだったというのなら、きっとつい先ほどまでの僕はさぞや酷くうなされていたのだろう。我が身を案じてくれるのは素直に嬉しいし、その純粋な思いに一点の陰りもないのはよくよく承知しているけれど、あまりに無防備な態度を取られるとどう対応すればいいのかわからなくなる。
「本当に大丈夫だよ、ちょっと悪い夢を見ただけなんだ。君が心配するようなことは何もないよ」
 できる限り、慌てている内心を悟られぬように平静を装って言葉を選ぶ。これがもしアスベルだったなら――如何な親友といえど、ベッドの上で同性にこの至近距離まで迫られるのは御遠慮願いたいところではあるが――悩む必要などなく簡潔に、重いから退いてくれないかと言えばそれで済むだろう。だがしかし、歴とした女の子であるソフィにまさかそんなことが言えるはずもない。
 実際、全体重をかけられているわけではないから大した重さでもないのだが、その微かな重みが余計に説明しがたい思いを掻き立てる。彼女を傷つけず、また不審の念も抱かせず円滑に退いてもらう為にはどうすればいいのか。必死に考えようとしても、起き抜けの頭はすっかり腑抜けてしまったらしく、まともに働いてはくれなかった。
「リチャード、もしかして風邪ひいたの?」
「い、いや。そんなことはないと思うけれど……何故そう思うんだい?」
「だって顔が真っ赤だもの。きっと熱があるんじゃないのかな。わたし、シェリアを呼んでくるね!」
「あ、いや、ソフィそれは……!」
 呼び止める暇もあらばこそ。戦闘の際のステップの如く、華麗にぴょんと跳ね起きた彼女は、軽やかな足取りで扉に駆け寄る。ドアノブを捻り振り向きざまに、起きちゃだめだよと言い置いて、その姿は扉の向こうへと消えていった。まるで一陣の春風のように、華やかな色の軌跡を後に残して。
「……風邪、ではないと思うんだけどな」
 シェリアさんが来たらなんと説明しよう。
 軽くなった体を僅かに丸め、顔の半ばを手で覆い隠しつつ。ほう、と吐き出した溜息は、我ながら情けないほどに熱を帯びていた。

小説ユーティリティ

clap

拍手送信フォーム
メッセージ