Mobile2
カーテンの閉められた窓越しに、ざあざあと降り止まぬ雨の音がする。時折ごろごろと唸る雷鳴は遠くなったりまた近づいたり、変わらぬ調子で訪れては神経を掻き毟ってくれるけれど、今はそれほどに怖くはない。掛けているソファのすぐ後ろ、ぴったりと寄り添うその位置に、慣れたぬくもりがあるからだろうか。
「ごめん」
風呂上がりの濡れ髪を、あたし自身では絶対にしないだろう丁寧さで拭いてくれている相手へと。発した声は蚊の鳴くような小ささで、聞き取れなくても仕方ないくらいで。でも言い直すのも憚られて、そのまま暫し沈黙が落ちる。数分とも思える時間の後で、やはり言い直そうかと思った途端に手が止まった。
「……何が?」
斜め後ろから降ってきた声には、不審の念も責める色もない。ただ純粋に、唐突な謝罪の理由だけを問うもの。
「さっきは、その……ちょっと、どうかしてた」
返した言葉が答えになっているのかどうなのか、自分でもちょっと自信がない。けれど言いたいことはわかるはずだ、わざわざあの雨の中を連れ戻しに来てくれた彼ならば。
「ちょっと?」
「……え、っと」
「ちょっとなの? アレが」
「…………かなり、かも」
「わかればよろしい」
有無を言わさぬ響きに押され、素直に発言を訂正した。それでそちらは満足したのか、止まっていた手が再び動き出す。
何をどうしたらこうなるのかと、気になって止まないほどふかふかだったタオルは水を吸ってもう随分重い。その分拭かれていた髪は軽くなって、そろそろいいかなと思うのとほぼ同時に、触れていた布の感触が離れていった。別に緊張していたわけでもないけれど、なんとなくほう、と息を吐く。
「ありがと」
「どーいたしまして。あ、まだダメよ。そのまま」
立ち上がろうとしたのを遮られ、肩に手を添えて止められる。特に抗う理由もないから、大人しく従い腰を下ろした。何をするのだろうと首を傾げている間に、気配が僅かに遠離る。
「はい、お待たせー」
すぐに戻って来た相手を振り向くと、前向いててと笑って言われた。その手に何か――多分桃色の可愛らしい瓶が、握られていたのだけを視認するなりくいっと前を向かされる。間髪入れず、ぷしゅ、と軽く湿った音が耳に届いた。
「これは……?」
恐らくは先ほどの瓶の中身だろう、液体らしきものが彼の手で髪にすり込まれていく。そこからふわりと立ち上る、鼻腔をくすぐる花の香り。何度か嗅いだことのあるそれは、さてどこで嗅いだものだったか。
「折角だからトリートメント。たまにはいいでしょ、こーゆーのも」
「とりーとめんと……?」
「栄養剤みたいなもん。コレやると髪の毛つやつやになんのよー」
「へぇ……そうなんだ」
そういうことには疎いから、言われればそんなものかと納得する。しなやかな指がするすると髪の間を通り抜ける度、確かに普段より滑りがよくなっているような気がした。まるで壊れ物を扱うように、繊細に触れられる感覚は嫌いじゃない。
「いい匂いだね」
「でしょー?」
何故だか得意げに言った彼の腕が、不意に首筋に巻き付いてくる。そのまま肩口に顔を埋めるように、背後からぎゅっと抱き竦められた。そうして甘く香る髪に鼻を押し当て、くすりと笑ったのが伝わる。
「俺さまとお揃い」
耳元で響く囁きに、とくん、と心臓が高く鳴る。
ああそうか。だからあたしは、この香りをよく知っているのか。
「そろそろ寝る?」
問われてどうにか頷いたけれど。
間違いなく顔が赤いのがわかるから、まだしばらく振り向けそうにない。
- 2010/06/25