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6.かささぎの渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける

 降るような星空と月光を映して、冴え冴えと輝く水面を見つめて。
「天の川みたいだね」
 何気なく呟いた一言には、すぐには反応が返ってこなかった。あれ、見当外れなことを言っただろうか、そう思って隣の男の顔を見る。しかしその表情は、笑うわけでも訝しげなわけでもなく、何やら思案しているようで。
「……ああ、ミルキーウェイのことね。そっちではそう呼ぶんだっけか」
 ややあって、ぽんと手を叩き眉を開いて。なるほど確かにねと、頷きながら言うのを見てこちらも納得する。
「そっか、ミズホとは呼び名が違ったんだね」
「あまのがわ、ってーのは天のあめ?」
「そ。天に流れる星の川、なかなか綺麗だろ」
「確かに、そっちの方がロマンチックかもなぁ」
 些細なことだけれど、同意してくれたのが嬉しくて自然、唇が笑みを形作る。そのまま一歩後ろへ下がり、欄干に背を預けて寄りかかった。
「それでいくとグランテセアラブリッジは、川でなく海を跨いじまってるってのがちょいと興醒めだな」
「そうでもないさ。だってほら、」
 凍てつく寒さにおりた霜が、長く視界の端までも続くこの橋の一面を覆って、きらきら。
「鵲の橋より綺麗かもね」
「うん、異存はねぇわ」
 朗らかな同意に微笑んで、隣り合う体にほんの少しだけ近づけば。察しの良い腕がすぐに伸びてきて包み込まれて、じんわりと伝わる温度を二人分け合う。空気がこんなにも冷たいから、触れているのが温かい。
「さってと、帰るか」
「ああ、夜も随分更けたしね」
 言い合って、どちらからともなく手を握った。

 

7.天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山にいでし月かも

 黄泉の国、或いは伝説の地。故郷ではそう呼ばれていた異世界で、振り仰ぎ見た月はそれでも同じ形をしていた。枯れた大地の上、広がる空だけは昼も夜も懐かしい場所と変わりなく、ただ静かにそこにある。そういえばあの空を突き抜けてやってきたのだと思い返せば、なるほど次元の壁に隔てられているとはいえ、確かに繋がっているのだなと思われた。
「星の並びは変わっても、月だけは同じ、か」
 尤も、星なんて方角さえ分かればそれで良いもの、夜空を眺めて美しいと思うことはあってもその形や位置までも詳しく修めたわけではない身には、厳密にどう違うのかまではわからない。だから任務に相応しからぬ感傷が、そんな風に思わせるだけなのかもしれないけれど。
「あれも同じだよ、しいな」
「あれ? ……ああ、そうだね。確かに同じだ」
 ちりりと鳴る聞き慣れた鈴の音が、耳に優しい。傍らに座る孤鈴の柔らかな毛並みを指先で撫でてやりながら、月ではなくこの世界の中心を見た。
(救いの塔、か)
 嫌になるくらい、故郷の地に聳えるそれと瓜二つ。雲の峰を突き抜け天に至る階は、この世界に与えられた救いの象徴。
「……悪いけど、あれには早く消えてもらわないとね」
 それまでは、望郷の念に浸る余裕などない。

 

8.わが庵は都のたつみしかぞすむ 世をうぢ山と人のいふなり

 からん、と溶けて崩れた氷が鳴る。グラスの中でゆらり、揺らめく淡い色のリキュールがあえかな光源を跳ね返す。洗練され落ち着いたバーの雰囲気は、なかなかに悪くないものだ。
「隣、宜しいですか」
「……ええ、どうぞ」
 妙に芝居がかった気障な口調で、声をかけてきたのはよく知る男。こういう場で煩く騒ぐ人間ではないだろうからと、苦笑して隣席に掛けるのを許した。
「珍しいわね、あなたが一人でいるなんて」
 意外なようにも思えるが、彼が単独行動を取ることはあまりない。特に注目していたわけでもないけれど、気がつけばいつもその傍らには"彼女"がいた。つかず離れず、いつでも目が届く範囲に、何かあれば飛んでいって守れる距離に。事実、戦闘中にさりげなく庇ってやっている光景を何度か見ている。前線で戦う仲間たちは気づいていないだろうが、回復役として常に最後尾にいる自分からは色々なものがよく見える。
「放っておいていいのかしら? こんな場所だもの、悪い虫がついたら大変なのではなくて?」
「さぁて、なんのコトでしょ」
「素直じゃないわね。あんなに大事にしているくせに」
 軽くはぐらかしてアルコールを注文する男に、ちくりとささやかな棘を一刺し。
「……やっぱリフィルさまは手強いな。お見通しってワケか」
 すぐに用意されたグラスを一口舐めて、それから作り笑顔を崩して言う。テセアラの酒の種類など詳しくはないから、名を聞いていてもそれだけではわからなかったけれど。どうやら彼の頼んだものは、それなりに強い代物であるらしい。
「お酒、強いのね」
「今日は酔いたい気分なのよ。この味はそんなに好きじゃないんだけどな」
「潰れない程度にしておきなさいね。あなたを運ばされるのは御免ですもの」
「お任せ下さい、美しいあなたの前でそんな醜態は晒せません」
 今度は気障なのは言葉だけで、表情はほろ苦く笑ったそのままで。アルコール度数の高さの割には早いペースでグラスを傾け、半分ほど空けた所で溜息をひとつ。
「子供たちはまたスロットかしら?」
「さっきコレットちゃんが確変叩き出してたからなー。興奮しちゃって煩いのなんの」
「あらあら。それで必要枚数が貯まってくれればいいのだけど」
 くすくすと笑って、こちらもグラスの中身を一口。
「ガキみたいにはしゃいじゃってまあ、いつまで経ってもお子様なんだから」
 独り言のように漏れた呟きが、誰を指すのかは聞くまでもない。揶揄するような、それでいて微笑ましいような。そのどこか優しげな響きが、滅多に見せない彼の素の感情を表している。
「聞いてもいいかしら」
「んー? なんでしょ、せんせ」
「あの子のどこが好きなの?」
「……さすが先生、こりゃまた直球で来たもんだ」
「悪いわね、間怠っこしいのは嫌いなのよ」
 他人の恋の話ほど、面白い娯楽はないという。普段ならそんな下世話な話題は好まないけれど、こんな場所でならひどく相応しいような気がしたのだ。それにいつも、何かと本心を隠しがちな彼という人間を、理解する一端になりそうでもあったから。本当に一人になりたければ、わざわざ仲間の側へなど来ないだろう。なのにやってきたということは、何かしら聞いてほしい思いがあるのだろうから。
「あなたの立場なら、容姿も家柄も性格までも、どんな相手でも選り取り見取りだったでしょう。なのにどうしてあの子を選んだのかしら」
 純粋に疑問でもあった。ナンパとなれば子供から老人、果ては人外までも許容範囲と称する彼の、たったひとり本気だと思えるその相手。確かに見目は悪くない、スタイルだって申し分ない。けれど身分の点では平民に過ぎず、ましてやテセアラでは異端視されるミズホの民。条件だけで見れば、神子として祭り上げられてきた彼に相応しい相手だとはとても言えまい。
「リフィルさま、あいつのこと嫌い?」
「そんなことはなくてよ。コレットのように仲良く、とはいかないけれどね」
「そりゃそーだ」
 答えた彼はくつくつと笑い、そしてどこか遠くを見るような目で薄く微笑む。日頃の軽薄さも鳴りを潜めて、柔らかな表情がそこにある。
「あいつはね、あったかいのよ。俺にとってはね」
 きっと今、彼の脳裏には鮮やかな笑顔の彼女がいるのだろう。そんな穏やかな眼差しで、大切そうにそう言って。
「あったかくて柔らかいの。だから大事」
「……随分と、シンプル且つ盛大な惚気ね」
「それ以上はひみつ。リフィルさまにも教えてあげなーい」
 幾らか普段通りの口調に戻って、けらけらと笑う彼は多分もう相当に酔っているのだ。だからこちらも、酒の上での与太話として、さらりと忘れてあげるつもりで。
「そんなに好きなら、早く捕まえてしまえばいいのに」
 最後にひとつ、呟いた。

 

9.花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに

「春の長雨、か」
 ここ数日止むことなく、そぼ降る雨模様を障子の隙間から覗き見てふと呟いた。この分では、折角開き始めた今年の桜も、散る前に随分と色褪せてしまうことだろう。
(残念だけど、しょうがないね)
 お天気ばかりはどうにもならない。せめてもう少し後ならば、霧雨に煙る桜というのもなかなか風流だったかもしれないのに。勿体ないと思うけれど、来年はきっと春の陽の下で見られるはずと思いを託す。保証などないただの願かけ、でもそうなればいいと思ったから。

『ミズホの桜は凄く綺麗なんだよ』
 だから、いつかあんたにも見せてあげるね。

 去年の春、そんな他愛もない約束をした。部外者の立ち入りを禁じた隠れ里のこと、元より簡単に果たせるものではなかった。それでもその時はただ純粋に、故郷の美しい光景をあいつにも見せてやりたいと思った、それだけだった。
(いつか、なんてもう来ないよね)
 この春も。次の春も。そのまた次も、ずっと。
(もう終わったんだから。忘れなくちゃ……)
 長雨に褪せた桜のように。この胸の思いも早く、色褪せて消えてしまえばいいのに。

 

10.これやこのゆくも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関

「これが関所、ねぇ……」
 パルマコスタ地方とアスカード地方とを隔てる要所、ハコネシア。坂になった通路の周りには頑丈そうな柵が巡らされ、鎧姿の兵士が二人。素人目には、万全の防備のように見えるが。
(監視装置がないのはまあ、仕方ないにしても)
 側に軍の詰め所があるわけでもなし。徒党を組んで関所破りを試みれば、それだけでもなんとかなりそうだ。ミズホ仕込みの忍びである自分なら、そんな手段に訴えずとも夜陰に乗じて横合いの山を越えてしまえば済む話だし、馬鹿高い通行料を課している割には通行証だってただの紙切れ。いくらでも偽造できそうなのに、シルヴァラントの住民たちはそんなことも思いつかないのだろうか。
(ある意味平和ボケしちまってんのかね。純朴なのはいいことだけどサ)
 そう、いいことだ。その方がこちらの仕事もしやすい。再生を待ち望むこの世界に、まさか神子を害そうなどと思う者がいようとは思いもしない方が良い。
 関所を越えて行く者、帰る者。こうして物陰に身を潜めて眺めていると、その人間模様は実に様々だ。一塊に連れ立って歩く旅業の集団、重そうな荷を担いだ行商人、眼鏡をかけた学者風の男に、派手な赤い服を着た少年……。
(って、あれは!)
 少年に続いてやってきた、仲間らしい一団を見咎めて一気に汗が噴き出した。その中に当然、目的の少女の姿もある。今度こそ仕留めなければならない、ターゲット。
(さすがに、ここじゃ目立ちすぎるか)
 まだ陽も高いこの時間、狙っても人目がありすぎて余計な邪魔が入るだろう。少年は関所を守る兵士と二言三言、会話を交わしてから仲間の元へ戻っていく。通行証がないのだろうか、どうやらそのまま引き返すようだ。
(運の良いことだね)
 次は見逃さないからねと。
 胸の内で一人呟き、揺れる金髪をきっと見据えた。

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