046 - 050
46.由良の門を渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ恋の道かな
すき、きらい、すき、きらい、すき。
「まぁ、そんなもんだよね……」
一枚だけ残った花弁を、眺めてはぁと溜息をついた。こんな占いとは名ばかりの、子供騙しの遊びで一体何がわかるだろう。気にすることなどないのだと、胸の内で唱えて最後の一片をぷちんと千切った。そのままそれをぽいと放って、すっかり無残な姿になってしまった茎もまた同様に放り出す。
別に信じてたわけじゃない。期待するだけの理由もない。だから落ち込んだりなんてしていないし、しょんぼりするなんてあり得ない、けど。
「しーいーなーっ」
「――ひゃぁっ!?」
完全に予想外の襲撃に、ついうっかり間抜けな叫びを上げてしまった。だが当の襲撃者自身は、これっぽっちも気にもしていない様子で人の背中に懐いている。
「ゼロスっ! あんたいきなり何を……って、どこ触ってんだいアホっ」
あまりにも自然に、伸びてきた腕が腰を抱こうとしていたから。いつも通り殴って止めさせようとしたその手首を、さっと掴まれて止められた。
「え?」
そんなことは初めてだったから、咄嗟にはなんの反応もできずにただ固まる。振り上げた拳を右手一つで拘束されて、その隙に回された左腕にしっかりと抱え込まれて身動きが取れない。背中に感じる懐かしい温度が、否応なく心臓の鼓動を早めていく。
「は、放しとくれよ! 急にこんなことして、どうしようってのさ……!」
上擦った声でどうにか抗議をしてみても、相手はどこ吹く風と言わんばかり。すりすりと頬を寄せられたくすぐったくさに、喉の奥から声とも呼べない音が漏れた。それをしっかり聞き取ったのか、くすくすと忍び笑いが届く。
「こんくらいで慌てちゃって、かーわいー」
「なっ……、馬鹿なこと言ってんじゃないよ! 早く放しなったら!」
「やーだ、せっかく捕まえたばっかなのに」
「つ、捕まえたって……!」
ああ、まただ。
最近のこの男はどこかおかしい。こうして一人でいる時を狙っては、必要のない雑談や過剰なスキンシップを仕掛けてくる。なんとなく、数年前――つきあってくれと散々付きまとわれたあの頃を思い出すけれど。遠慮というものが全くない分、今の方がずっと質が悪い。
「だって捕まえとかなきゃ逃げるでしょ?」
「あんたが妙な真似しなきゃ逃げやしないよ!」
「……そう?」
どうしよっかなぁ、なんて白々しく呟いて。
暫し考え込んだそのあとで、やっと出たらしい結論は。
「やっぱもーちょっと捕まえとく」
やけに嬉しげに告げるなり、より一層強く引き寄せられた。痛くも苦しくもならない限界の強さで、ぴったりと寄り添う感覚は、悔しいけれど嫌いじゃない。
「あんたが何を考えてんのか、あたしにゃさっぱりわかんないよ……」
本当はきっと、よく考えてみればわかってしまう。
でも今はまだ、わからないままにしておきたかった。
47.八重葎しげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋は来にけり
随分と冷たくなりはじめた風が、肌をさらりと撫でてゆく。
疾うに夏の緑は去り、秋も盛りを過ぎて冬へと向かいつつある季節。生い茂る葎は大小様々の瓦礫を覆い、在りし日のその姿の名残さえも緩やかに取り込んでいくかのようで。
「なんだか寂しいね」
浮かんだ思いをそのままに、ぽつりと小さく呟いた。
「ま、こんなトコにわざわざ来る物好きもそういないだろーからな」
傍らから返ってきた答えは幾分笑いを含んでいて、言葉通り人気がないことを指しているわけではないのだ、ということはちゃんと伝わっているようだった。確かにここには二人きり、見渡せる範囲には誰一人いない。でもこの寂しさ物悲しさは、そういう種類のものではないから。
「つっても人は来なくても、秋だけはちゃーんと来てるみたいだけど」
冗談めかしてそう言って、ほらと紅く染まった葉を差し出す。親指と人差し指とで挟まれたそれは、自然に落葉したことを示す乾燥度合いで風にかさりと音を立てた。
「季節だけはこの先も、何度でも巡ってきて重なっていくんだね」
その度毎に少しずつ、かつての威容もその象徴したものも、長く秘されてきた役割の真偽すらも、人々の記憶から薄められ消えていくのだろう。そうしていずれ、ここも数ある遺跡のひとつとなる。誰かさんの大好きな、歴史だの考古学だのに属するものに。
「なんでだろうね? 妙にしんみりした気分になっちまうのは……こんな季節だから、なのかな」
「かもな。でも――」
見上げた先を、目で追いかける。今はもうどこにも存在しない、雲の峰を突き抜け天へと至った階のあと。
「墓標みたいなもんだから、かもよ?」
女神になろうとしてなれなかった、沢山の神子たちは今もきっとそこに眠っている。救いの塔。それは彼女たちにとって、短かった生に別れを告げた終焉の地を表す名前。
「ああ、そうだね……」
花でも持って来ればよかったね、と。
言ってその肩にそっと寄り添う。そうだなと答えたそのあとで、逞しい腕に抱き寄せられた。
触れ合った場所の温かさが、何故だか一層切なかった。
48.風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな
難攻不落の砦を落とすには、ただがむしゃらに攻めるばかりではいけない。趣味や嗜好のリサーチを怠らず、少しでも喜ばれた褒め言葉は忘れずにしっかり心に刻む。照れ隠しの怒りと本当に御機嫌を損ねたときとの違いに惑わされず目を光らせて、くれぐれも地雷は踏まないように。プレゼントは高価すぎるものは避け、かさばらず持ち帰るにも便利で可愛らしいものがいい。いざ渡すときには断りづらい理由をつけて、やや強引に押しつけるべし。
――ここ数週間を費やして、やっと集まり始めた情報たちを頭の中で整理する。これまで顔を見るなり回れ右されたり、口を開けば邪魔だ帰れと言われたりの散々な扱いを受けてきたが、この対しいな専用マニュアルとでもいうべきもののおかげで、最近はどうにか会話が成立するようになってきた。ここまで苦労したかいあって、神子を神子とも思わぬ態度の、珍しい少女とのやりとりが近頃楽しくて仕方がない。
「今日はどれにしよっかなーっと」
意外にも花が好きらしい彼女のために、温室の花を見繕う。両手に余るほどの豪華な花束、なんてのはたとえお気に召しても持って帰れないからと返されてしまうのでいただけない。だから渡すのはほんの数本、選び抜いたとっておきにリボンだけをかけたシンプルなものを。
「ピンクとオレンジと黄色……あとは白かな、やっぱ」
色の取り合わせも考えて、少ない数でも鮮やかにぱっと目を引くように。ただどちらかというと淡い色彩が好みなようだから、定番の深紅の薔薇は入れなかった。俺さまにはよく似合うと言われる花なのだが、確かに彼女にはあまり似つかわしくない。
「ちゃんと持って帰ってくれますよーに」
たかだか女の子への贈り物、それも大事な記念日でも誕生日でもないものの為に、ここまで悩むのはこのゼロスさま始まって以来のことだ。何せ適当なものを適当に渡したら、要らないとかあんたにもらう理由がないとか言われてそれはもうきっぱりと突っ返されてしまうから。しかも普通ならこちらも仕方ないとあっさり諦めがつくはずなのに、彼女にだけはどうしても、ちゃんと受け取ってもらいたい。受け取ってもらえたところでそれに込めた想いまで伝わるわけでなく、むしろそちらはもっとぞんざいにはたき落とされるのが常なのだが、それでも。
まだまだ顧みてもらえないとしても、せめてこの花が彼女の部屋の窓辺を飾るようにと祈る。そして願わくば花が目に入るその度に、ちらとでも贈り主を思い出してくれますように、と。
49.御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつ物をこそ思へ
ほんの少し小さくなった火に薪を足し、長い枝で熾をつつくとぱっと火の粉が辺りに散った。すぐに火勢が強くなって、燃え上がった炎が一瞬だけ周囲を明るく照らす。その枝もついでに火に投じ、ぱちぱちと爆ぜる音の響くのをただ聞いた。
はあ、とやや大袈裟な溜息が漏れたのを、己自身聞くまで気づかなかった。肩にかけた毛布を襟元の辺りでかき合わせ、抱えた膝に頭を乗せる。再び漏れた溜息を隠す気にもならず、緩い風に揺れる炎をじっと見つめた。ゆらりゆらり、不安定に揺らめくその色は、今のあたしの心中に似ている。
(まさか一緒に旅する羽目になるとはねぇ)
顔を合わせるのが苦痛だというわけではない。シルヴァラントへ行く前だって、何かと会う機会はあった。だからこそ忘れることができなかったのだが、遠く次元を隔てての長い別離の間にもその顔は幾度も瞼にちらついたから、結局のところそんなことは関係なかったのかもしれない。だがそれはともかく、だ。
(……毎日毎日、朝起きてから夜寝るまでずっと、なんて)
一体どんな苦行だろう。悪いことに相手は視界の隅にでも入れば目立ってしょうがない派手な容姿の持ち主で、しかも一時だって黙っていられない騒がしい性格ときたものだ。更には気心知れた相手で絡みやすいのか、しょっちゅうこちらに要らぬちょっかいを出してくる。その場その場ではこちらもほとんど反射で反応しているからいちいち深く悩まないが、こうして後で一人になると思うのだ。あいつは一体何を思って、わざわざあたしに近づいてくるのかと。
まだ忘れようもなく覚えている。いい加減飽きてきたんだと、だからもう終わりにしようとはっきり言われた。嫌だなんて言えるわけもなかったから、わかったと受け入れてそれでおしまい。なのにどうして、今更また。
(この装束が悪いのかねぇ……)
胸元を露出せざるを得ない衣装のせいか、爆乳だのナイスボデーだのと、何かにつけて話題にされる。どうやらあいつは胸の大きい女が好きなようだから、それが為に寄ってくるのだろうか。本当にただそれだけなのだとしたら、己の体が恨めしい。決して望んでそうなったわけではないのに。
殊更体を縮めるように、きゅっと我が身をかき抱く。昼間他の仲間たちがいる前では、忘れたふりをしていられた。でも夜になって一人床に入って、眠りに落ちるまでの間は。ましてやこうして、寝ずの番をする長い時間は――。
「よ、しーいなーっ」
「……ひゃあっ!?」
不意打ちで斜め後ろからかけられた声に、心底驚いてついつい情けなく叫んでしまった。弾かれたように振り向いた先には、こちらも面食らった様子の男が一人。
「なっ、なんの用だい後ろから忍び寄ったりして!」
状況を考えて潜めた声で、それでもとりあえず問い詰める。しかしその相手はきょとんと首を傾けて、えぇ、と不満げな声を漏らした。
「おまえがぼーっとしてたんじゃねーの? 俺さま別に気配消したりしてないしー」
言いながら近づいてきた男は、無造作に隣に腰を下ろした。あぐらをかいて髪をかき上げ、持ってきた毛布を肩にかける。見るともなく眺めていたこちらに顔を向け、僅かに口元を緩めてみせた。
「交代の時間よ、お疲れさん」
「あ、あぁ……。もうそんな時間だったのかい」
「そーよ、そんな時間だったのよ。珍しいな、おまえが時間忘れるなんて」
「……別に。ちょっと考え事してただけさ」
また出そうになった溜息を、今度は気づかれないように密かに飲み込む。あんたのことを考えてたなんて、まさか当人に言えるはずがない。
「またまた、実は居眠りしてたんじゃねーのー?」
「誰がするか!」
でひゃひゃ、と下品に笑う男に、とりあえずいつも通りの罵声を投げた。それからまた膝を抱え直して、背を丸めてそこに顎を埋める。
「戻らねーの?」
仲間たちの眠るテントを差して言うのを、敢えて無視して沈黙で返す。ただひたすら目の前の火を見つめるあたしに何を思ったのか、不意にその気配が動いた。
「――わ、っ」
こちらに躙り寄る動きに、顔を上げた途端柔らかいものに包まれる。その何かを被せるなりさっと離れた男を呆然と見ながら、手を触れればかけられたものの正体はすぐにわかった。彼自身がさっきまでかけていた毛布、だ。
「それ貸したげる」
「な、貸すって、なんで……?」
「寒いんでしょ? おまえ寒がりだもんなー、火の側でそんな縮こまっちゃってるのはそれしかないっしょ」
俺さま平気だから貸してあげると、重ねて言われ目を丸くする。確かに今夜はいつになく冷え込んでいて肌寒い、でもまさかそんな風に気を遣われるとは。
「なんなら俺さまのカラダであっためてあげちゃってもいいけどー?」
あからさまな冗談を言って笑う男を、今は殴る気になれなくて。
「……要らないよ、馬鹿」
できる限りのつれなさを装って、素っ気ない言葉だけを放り投げた。
50.君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
「数は?」
「八人」
「なーんかいつかを思い出すなぁ」
「うるさいね、もうあんなドジ踏みやしないよ!」
「そりゃあ何より」
軽い口調でやり合いながら、互いに得物を取り出して構える。背中合わせで周囲を警戒し、臨戦態勢を整えた。近づいてくる足音が重い。どうやら相手はただの盗賊の類ではなく、鎧で重装備した兵であるらしい。
「……ちっと面倒だな、こりゃ」
短剣も符も一撃が軽い。その分小回りは利くし機敏に動けるが、厚い金属の鎧を粉砕するほどの破壊力はない。そういう手合いに有効なのは、こちらも重みのある武器での強打なのだが。
「プレセアちゃんとかがいたらなー」
「ないものねだりすんじゃないよ、頭使いなっ」
「はいはい、わかってますよーっと」
幸いアイテムの在庫は十分だ。あまりお世話になりたくないが、ライフボトルも一応ある。しかし二人とも倒れてしまっては、それを使うことさえできないわけで。
「しいな、召喚いけるか?」
「大丈夫だけど……詠唱の時間どうするのさ、あんた一人で八人は無理だろ」
彼女が不安そうに言うのも無理はない。『あのとき』は大丈夫だったけれど、それはそもそもこちらが一人だったからだ。八対一という状況は同じでも、目の前に詠唱中で無防備な仲間がいるのでは話が違う。敵も馬鹿ではないのだから、当然そちらに向かう者がいるだろう。数人がかりで釘付けにされている間に襲われたら、さすがに守りきれる自信はなかった。
「俺さまが囮になって引きつける。おまえは隠れてチャンスを狙え」
「そんな、八人だよ!? いくらあんたでも……!」
「なんとかするさ。でなきゃ二人とも死ぬだけだ、そーだろ?」
「そうだけど、そうだけどでも……っ!」
いつも凛として気丈な声が震える。それはこの身を案じてのこと。その事実がとても嬉しくこそばゆく、状況に似合わぬ高揚感を味わわせる。
「おまえを守る為だったら、俺さま死んだっていいとか思っちゃうし?」
「――馬鹿なこと言ってんじゃないよ! あたしはあんたに死なれちゃ困るんだ!」
絶句したのはほんの一瞬。すぐに浴びせられた罵声はしかし、紛れもない愛情を含んでいる。
「もー、冗談だっつーの。おまえの為なら死ぬ気で頑張れるくらい愛しちゃってるから、絶対無事に帰ろうなってコトよ」
「二人で、ってのを忘れたら承知しないからねっ」
「りょーかいしました、お姫さま!」
答えるなり腰を落として走り出す。同時に背後の彼女も地を蹴って、恐らくは手近な木の枝へと跳んだ。打ち合わせひとつなしのこの行動、まさに阿吽の呼吸というものじゃないか。
「……さぁて、ちょっと頑張りますか」
愛する彼女の為になら、命など惜しくないというのは事実。でもそうまでして守りたいと思う彼女自身が、死ぬなと言ってくれるのなら。
「長生きするしか、ないでしょーよ?」
とりあえずはこの場を切り抜けて、愛し君の元へと帰りましょう。
- 2010/11/10