慶びの日に

 その日、自宅に戻ったのはもう随分夜も更けてからだった。お偉方の集まるパーティは、大して面白くもないばかりか無駄に疲れることだらけ。途中何度も来るんじゃなかったと後悔したが、国王直々の招きとあっては無視するわけにもいかなかった。
「たっだいまー……」
 扉を開けるなり力なく呟き、出迎えたセバスチャンに上着を渡す。次いで堅苦しいネクタイを解いてソファに投げて、髪留めも外し乱暴な手櫛で髪を乱した。そのまま服が皺になるのも構わず、投げたネクタイの隣に座り込む。
「ゼロスさま」
「んー、なんだ?」
 畏まって脇に控えるセバスチャンに、凝った肩を鳴らして嘆息しつつ返事をする。また何か厄介事か、それとも急ぎの仕事の追加オーダーかと身構えたが、その予想は見事に裏切られた。
「先刻から、お部屋で藤林さまがお待ちでございます」
「え、しいなが? マジで?」
「はい。ゼロスさまがお帰りになられたら呼んでほしいと仰せでしたが……」
 皆まで言いきらぬうちに、階段の上に見知った顔が現れた。
「おかえり。なんだい、随分疲れた顔しちまって」
 言いながら階段を下りてきて、つかつかとこちらへ歩み寄る。その見慣れた藤色の装束の、淡い色合いはついさっきまで煌びやかなドレスに囲まれていた目にはひどく優しく思われた。
「よ。わざわざ来てくれちゃったんだ? 待たせて悪かったな、ここんとこ御無沙汰してるハニーたちがなかなか放してくんなくてよー」
 最近は忙しいと聞いていたから、まさか今日会えるとは思わなかった。前に会ったのはそれほど前のことではないのに、何故だか懐かしく思えてならない。本当は毎日だって会いたいのだから、無理もないのかもしれないけれど。
「大方そんなこったろうと思ったよ」
「それがさあ、聞いてよしいなー。今日はなんでかヒルダ姫にもやたらしつこく粘られちゃって、俺さまちょーお疲れモードなの」
「それも日頃の行いって奴だろ。精々反省するんだね」
「ちぇ、きびしーのー」
 他愛ない会話を交わす間に、隣へと座ってくれたしいなに手を伸ばす。珍しく抵抗されなかったので、そのまま軽く抱き締めた。
「あー、癒されるー……」
 すりすりと頬を擦り寄せたら、何やってんだいと呆れられた。それでも止めずに続けていたら、くすぐったいよと笑われてこちらもつられて頬が緩む。やっと手を放し、少し体を離して見つめ合うと、どちらからともなく吹き出した。

「ねぇゼロス、パーティで食事してきたんだろうけど、デザートが入る余裕はあるかい?」
 暫しくすくすと笑い合ったその後で、唐突に問われて首を傾げる。何やら悪戯めいた表情が珍しく、何かあるなと期待させた。
「どっちかっつーとメシ食うよりは喋りっぱなしだったから、腹の余裕はそこそこあるぜ」
「そりゃ良かった。待ってる間に勝手に台所貸してもらったんだ、用意するからちょっと待ってな」
 言い置いて座を立ち、キッチンへと向かうしいなを見送る。ひらりひらり、靡く帯が扉の向こうに消えるまで見つめて、それからふっと息を吐いた。何が出てくるかは大体予想がつくけれど、それがなんであれ嬉しいことには変わりない。
「はい、お待たせ」
 間もなく戻って来たしいなの手には、やや小振りなデコレーションケーキの乗ったトレイ。背後では気を利かせたセバスチャンが、ティーセットの用意を始めている。
「あんまり大きいのは食べきれないだろうから、これくらいがいいかと思ってね」
 細い蝋燭に火をつけながら、少し照れた様子で言う。さすがに年の数ぴったりではなかったが、定番のチョコレート製のプレートはあった。まるっきりお子さまみたいだが、こういう手作りの『お祝い』は久しく絶えてなかったから、これはこれで悪くない気がする。
「随分腕を上げたじゃねーの。おまえ、ケーキは苦手だって言ってたじゃん?」
「こないだコレットに習ってきたんだ。ちょうど任務でイセリアに行く用があったから、そのときにね」
「しいなってば健気だねぇ。俺さま感激!」
「はいはい、それはいいからほら、蝋燭消しなって」
 隙あらばと抱きつこうとしたのを制されて、代わりにケーキを差し出される。バランス良く配された蝋燭が囲むのは、飾りの苺と『Happy Birthday!』の文字。
「それじゃ、いきまーす」
 大きく息を吸い込んで、勢いよく火を吹き消した。ああ本当に、こんなのは十何年ぶりだろうか。しかしセンチメンタルな気分に浸る間もなく、ぱちぱちと一人分の拍手が部屋に響く。
「誕生日おめでとう」
「……どーも、ありがとーございます」
 改めて言われるとどうにも気恥ずかしく、でもやっぱり嬉しいのも事実で、どんな顔をすればいいのか迷う。結局、笑顔と苦笑の間くらいの表情になってしまったけれど、彼女はそんなことはすっかりお見通しであるらしい。
「笑えばいいんだよ。あんたがこの世に生まれてきて、今日までちゃんと生きてこれたことは、誰がなんと言おうとおめでたいことなんだからサ」
 蝋燭を外したケーキを切り分けつつ、さっぱりと言い切る口調に迷いはない。今はその手元を見つめている目が、こちらを見ていないのにとても優しくてそして凛としていた。自分だってそう言えるようになるまで数え切れないほど辛い思いをしたのだろうに、生まれてこなければよかったと自らを呪った夜もあっただろうに、それでも彼女は今、力強く前を向いている。
「そーだな。めでたいことなんだよな」
 眩しくて掴めないと思った日もあったけれど、諦めずにいたことは無駄ではなかった。今こうして彼女の側にいて、言葉を交わしていられること。なだらかとは言えない道ばかりでも、歩き続けて来られたこと。生まれてきたから、生きてきたから、この幸せが手の中にある。
「今すぐじゃなくてもいいからさ。いつか、お母さんにも感謝してあげられるようになるといいね」
 ケーキを切り終えたしいなが、静かな声でぽつりと言った。
「あのお袋に感謝、ね……」
 今も尚、思い出を手繰れば綺麗とは言えない感情が渦巻くけれど。愛してもいない男の子を、それでも産んでくれたひと。決して温かい母ではなかったけれど、この命を身を挺して守ってくれたひと。
「今度、墓参りでも行ってみるかな」
 俺が行っても喜ばないかもしれねーけど。
 呟いた声は多分聞こえていたのだろうに、傍らのしいなは黙したまま答えずただ笑うだけ。でもその笑顔を見ていると、ひとつ良いことを思いついた。
「ねーしいな、おまえも一緒に来て」
「なんだい、一人じゃ怖いとでも言うのかい?」
「そーじゃねーよ。紹介すんの、俺さまのスイートハニーだ、ってさー」
 言って有無を言わさず肩を抱き寄せ、いいだろと耳元で囁いた。強引な手段の報復は、多分誕生日だから殴るのは負けてくれたのだろう。けれどその代わりのように、無防備だった太股をぎゅっとつねられた。
「いって!」
 叫んでもどうにか手を緩めずにいたら、
「ばーか」
 と、笑って応えてくれた。

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