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36.夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ

 夏の夜というのはとかく短い。
 その分日のある時間は長いのだし、大体一日は24時間だというのは季節など問わずにいつでも同じと決まっているのだから、短いからなんだと言ってしまえばそれきりの話なのだけど。

「そろそろ夜明けだね」
 かさかさと紙の擦れる音と、ペンを走らせる音だけが満たしていた空間に、疲れからかやや掠れた声が不意に混ざった。
「げぇ、マジかよ……やっと終わりが見えてきたってのに」
 それに答えた自分の声にも、かなりの疲労が滲んでいる。実際疲れているから無理もないが、肉体の疲れ以上に精神的な疲れが今、一時にどっと押し寄せてきたような気がしてならない。
「しいなさん、これ終わらせたら一緒に寝ようね?っていう約束はこの場合どうなっちゃうんでしょうか」
「そもそも寝てる暇がないんじゃ、一緒にも何もあったもんじゃないだろ……」
 普段ならまずは誰がいつそんな約束したんだと突っ込まれるはずなのに、それもないのは徹夜明けでいい加減ぐったりしているからなのだろう。今いつものように殴られたら、そのまま机に突っ伏して意識を飛ばしてしまいそうだから、それはそれでいいのかもしれないがどこか寂しい。ちなみに一緒に寝る約束なんてものは、当然だがしているわけがない。まあ、これが終わったら仮眠を取ろうかとは言ったけれど。
「よし、後はここにサインして……こっちはこれでおしまい、っと」
 最後の一枚を書き終えたしいなが、その書類をこちらへと差し出しながら伸びをする。ついでにふわあ、と欠伸を漏らすのを、羨ましく眺めながらに受け取った。
「いーなー、俺さまのはまだ一山残ってるぜ……。あー、もう明日に回して休みたーい」
「明日っていうか、もう今日だけどね。大体回したところで明日の分が余計に増えるだけなんだから、ほらさっさと終わらせちまいな」
 尚も欠伸混じりに諭されて、へーい、と力なく答えて肩を落とす。そのまま受け取った書類を流し読みして、承認のサインをさらさらと。続いてぽんと印を押し、処理済みの山の上へとそれを載せる。一連の動作はもうすっかり慣れたものだけど、単純なルーチンワークを続けるのはこれでなかなか体力気力を消費するものだ。
「ちょっと窓開けて風入れようか、この時間なら涼しいだろうし」
「ん、そーだな」
 次の書類を手に取りながら、視線は上げずに軽く答える。ごとりと椅子を引く音がして、けれど絨毯の上を行く足音は聞こえなかった。流石シノビ、というべきだろうか。
 これは許可、こっちは改めて再検討と、残り少なくなった紙の山を順次目を通しては振り分けながら、レース地のカーテンと窓の開かれる音を聞くともなしに聞き流す。ややあってふわりと心地良い風が吹き込んできて、初めてそちらへと顔を向けた。
「明け方の空気だな」
「そうだね。もう空の色が変わってきてる」
 じきに眩しい夏の太陽がやってきて、今日もじりじりと大地を焼くのだろう。夏の夜は短いが、昼と夜のあわいのこの時間は、より一層短い瞬きのようなものだから。
「さっき休憩した時は月が綺麗だなんて言ってたのに、なんだかあっという間だね」
 ほらもうどこにも見えないよ、と。少し乱れた黒髪を、指先でかき上げて苦笑してほう、と息を吐く。こちらもなんとはなしに少し笑って、それから思い切り伸びをした。
「雲のどっかに隠れてんじゃねーの? こんなに短いんじゃ、西に沈もうにも間に合わないだろ」
 俺さまもしいなと愛を語る時間が足りないなあ、なんてことは思っただけのつもりだったのに、しっかり声に出ていたらしく。
「アホなこと言ってないで仕事しなっ」
 こつん、とさして痛くもない拳が降ってきた。

 

37.白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける

 さらさらと涼やかな風が頬に当たって目が覚めた。まだ重い目蓋を二度三度、瞬いてそれから持ち上げる。いつの間に眠ってしまったのだろう、思いながら身動ぎをしてやっと気づいた。今の今まで寄りかかっていた、傍らにあるぬくもりの正体に。
「……えっ、わ、あ……っ!」
 ついうっかり大声を上げかけて、慌てて両手で口を塞いだ。何故ならばその『正体』であるところの人間が、珍しくも穏やかな表情で、静かな寝息を立てていたので。
「…………っ」
 どうにか声を殺せたおかげで、起こしてしまうことは避けられたらしい。が、反射的に動いたせいで僅かながらも距離が空き、互いに支え合っていた体勢が崩れる。
「ぅ、ん……」
 どうしようと迷った、その一瞬に。
 ぱたり、と倒れかかった体が肩に凭れて、僅かな重みと熱が伝わる。離れればそのまま横倒しになってしまうから、それきり動けなくなって固まるしかない。でもいつまでもこうしているわけにはいかないし、何より仲間たちが起きてきてこんなところを見られたらあらぬ誤解を受けかねない。そうなればいくら言葉を尽くして弁解してもはいはいと笑って流されて、後はただ微笑ましく或いは生暖かく、見守られてしまうだけなのだ。当然こいつは調子に乗ってまたろくでもないことをしでかすだろうし、あたしがその被害を被るのはもう決まったようなものなんだからこれはもうとにかく早急にどうにかしないと――。
「あらおはよう、しいな」
「う、わっ……、ぅ」
 またしても。危うく叫びそうになったのを、今度は目の前から伸びてきた手が塞いでくれて事なきを得た。跳ね上がった鼓動を落ち着けてから、手の持ち主の顔を見上げる。彼女は空いている方の手の人差し指をすっと立て、くすくすと笑う唇の前に持ってくる。誰にでもわかる、『静かに』のサイン。
「……ありがと。助かったよ、リフィル」
「どういたしまして」
 隣に気を遣っての囁き声で礼を述べると、同じく控えめな音量での答えが返る。見たところこの場にいるのは彼女だけのようで、訂正の厄介な年少組の不在に安堵した。
「えっとその、これは」
 とりあえず状況を説明しようと、口を開いたのを首を振る仕草で制される。わかっていると言いたげな訳知り顔に、もう一度小さな笑みが浮かんだ。
「寝かせておいておあげなさい」
「でも……」
「ついさっきまで起きていたのよ。途中で眠ってしまったあなたに代わって、見張りをしてくれていたようだから」
 面倒見の良いことね、と。からかうように言う声は優しく、どこか年長者の余裕を感じさせる。こちらは対等のつもりでいる分ちょっと癪だが、不思議と嫌だとは感じなかった。
「……情けないね。見張りの途中で寝込んじまうなんて」
 思い返せば、確かに昨夜の記憶が途中から曖昧になって途切れていた。側にこの男がいたことと、何度か眠いなら代わってやると言われたことは覚えている。その度にうるさい大丈夫だと答えたことも。
「素直に代わればよかったのに、と言っていたわよ」
「大きなお世話……だと、思ったんだよ」
「それも心配しているからこそでしょう?」
「まあ……そう、だねぇ」
 まるで悪戯をした子を諭すように、言われては認めるより他になかった。
「ちゃんと御礼をしておきなさいね」
 柔らかくて棘の一つもないのに、何故か強制力のある笑顔に気圧されて。気がつけば、わかったと頷かされていた。

 動けない為に所在なく彷徨わせた視線の先に、草の葉に残る露が目に入る。その冴えた白さにふと気づくのは、朝方の秋の空気の冷たさ。
 無意識にふるりと身を震わせて、自身の腕で体を抱く。その指先に触れたのは、ふかふかした布の感触だった。
(あれ、これは……)
 野宿の夜にはいつも世話になる、使い込まれて少し草臥れた毛布。今まで気づかなかったけれど、両肩を覆うようにかけられている。
(これも、あいつがやったのかな)
 妙な所で気が回るんだから。
 肩口に当たる猫っ毛が、風にひらひらと揺れてくすぐったい。規則的な呼吸がまだ乱れないのを確認してから、そっと手を回してくるりと毛布をひっくり返した。少々無理な体勢だったが、なんとか目的を達して一息つく。
 涼しくなった背中の代わりに、ささやかな満足感を得て密かに微笑む。狙ったように吹いた風が、白露の玉を散らしてきらめかせた。

 

38.忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな

『生憎だけどね、あたしはあんたみたいな浮気者とつきあうなんて御免だよ!』
『えぇ? どーゆーコトよ、なんで俺さまが浮気者?』
『白々しいね、知ってるんだよ? こうしてあたしに言い寄ってるくせに、余所では毎日違う女の子連れて歩いてること!』
『あれはみんなただのハニーだから浮気ってワケじゃねーのよ、つっても信じないよなぁ……。じゃあさ』

 その日はもうかれこれ一週間近くもの間、どこに行くにもつきまとわれた挙げ句のいい加減しつこい誘いに辟易して、往来だということも忘れてつい感情のままに怒鳴りつけた。どうせ遊ばれているだけだと思っていたから、知っている事実をぶちまけてやれば諦めて帰ってくれるだろうと。でも実際は、予想もしない続きがあった。

『しいながつきあってくれるなら、一切他の女の子とは遊びません! これでどーよ?』
『そんなの、口だけならなんとでも言えるだろっ』
『そりゃまあそーだよな、なら……そうだ。女神マーテルの名にかけて、浮気しないって誓います』
『なっ、こんなことにマーテルさまの名前を持ち出すんじゃないよ!』

 まさかそう来るとは思わなかった。馬鹿らしいと切って捨てても良かったけれど、神にかけての誓言を、苦し紛れの嘘だろうとまでは言えなかった。
 相手が神子という肩書きを持っていたせいもある。神に選ばれたそのひとが、わざわざ誓うとまで言ったのだからと。別にその言葉を芯から信じたわけではないし、それだけで心を決めたわけでもない。ただ少しだけ、歯牙にもかけないつもりでいたのが、ほんの少し揺らいだような気がしただけ。

『ねーしいな、まだつきあってくんないのー?』
『うるさいねぇ、そんな気はないってずっと言ってるだろ』
『俺さまそろそろ、ココロの潤い不足で干涸らびちゃいそーなんだけどー』
『あぁもう、だったらあんたのハニーたちとやらと遊んでくればいいじゃないか!』
『それは駄目。だってマーテルさまに誓ったんだもーん』

 どうせ三日も保てば良い方だろうと思っていたのに、意外にもその殊勝な誓いは随分と長く守られていた。本当はつきあったら、という仮定の話だったはずだけど、その日から彼の女遊びは本当にぴたりと止まってしまった。その為に嫉妬という余計なとばっちりを受ける羽目にはなったものの、思いの外真摯な態度に戸惑わなかったと言えば嘘になる。
 結局それから間もないある日、遂に根負けして望まれたおつきあいとやらを受け入れた。ぱぁっと花の咲くような笑みを浮かべて喜んで、大事にするからと告げられて。不覚にもちょっとだけときめいてしまったりしたのも、今は甘くて苦い思い出のひとつ。

「結局、最後の方は誓いなんて破られまくりだったよねぇ」
 テーブルに両の肘をついた上に顎を載せ、わざと嫌みったらしく言ってやる。言われた方は、口に運ぶべく持ち上げたカップを宙に浮かせたまま止めて、なんのことかと目を瞬いた。
「あんたがあたしにつきあってくれって言ってきた頃の話サ」
「あー、あれか。心外だなー、俺さま本気で浮気したことなんて一度もないのに」
「浮気に本気も本気じゃないもありゃしないだろ」
 でもだのだってだの、もごもごと言いながらカップのお茶を啜る姿を横目で眺め、ふふん、と小さく笑ってやる。
「バチが当たらなくて良かったと思いなよね」
 ちくりと刺した追撃には、うぅ、と唸る声が返る。
「ホントだもん。俺さまのハートはずっとしいな一筋よ?」
「へぇ。じゃあ、今度は何に誓うんだい」
 かちゃん、と軽い音を立て、カップがソーサーに下ろされる。ほんの戯れの言葉遊びに、存外真面目に考え込んでいるらしい。目を閉じて顎に手を当てて、たっぷり一分は経ってから。
「……俺さまのしいなへの愛にかけて?」
 開かれて見合った瞳の色の、そのあまりの真剣さに。
 耐えきれず吹き出して爆笑したら、なんとも不本意そうな表情があってまた笑う。笑いすぎて出た涙を拭きながら、なんだいそりゃ、とやっと答えた。
「笑い事じゃねーってのに……」
 憮然としてこぼしたその頬が、僅かに赤らんでいたのは見ないふりをしてやることにした。

 

39.浅芽生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき

 不意に湧いて出た衝動に、抱き締めてしまってから気がついた。突然のきつい抱擁に、身を竦ませたその相手は、咄嗟には声も出ないでいるらしい。暴れられないのをいいことに、ほんの一瞬、閉じ込めたぬくもりを噛み締める。
 尽きぬ名残を必死に断って、嫌がる腕を引き剥がした。自由になった彼女はぱっと一歩分飛び退いて、わかりやすく真っ赤な顔で酸素不足に喘いでいる。たったこれだけの接触なのに、抱かれている間中息を止めてでもいたのだろうか。
「……神子さまからの祝福でした、なんつって。まあなんだ、気をつけて行ってこいよー。その胸は保護に値する一級品だからな、傷とかつけずに帰って来いよな」
 ふざけた台詞でへらりと笑い、もう一回しとく? と両腕を広げてみせてやると、案の定、甘くない刺激的なベーゼが左の頬にヒットした。
「あんたはもうっ、こんなときにまでよくそういう……!」
「……ってー、久しぶりにこんなきっついの来たなぁ……」
「自業自得だろ!? 全く何度殴られても懲りないんだからっ」
 猛り狂う彼女をまあまあと宥めて謝って、どうにか機嫌を取り結んだ。次いつ会えるかも知れない別れの前に、せめて笑顔が見たかったから。本当はもっと触れていたい、遠く異世界へなんてやりたくない。でもそれを悟られるわけにはいかなくて、おちゃらけた仮面で押し隠した。

「それじゃあね」
「帰ってきたら顔出せよな」
「……考えとくよ」

 最後の会話はたったそれだけ。
 部屋を出る彼女の後ろ姿に、再び湧いた衝動を制すのは並大抵の苦痛ではなかった。
 大概のことには鈍いくせに、妙に勘の良い所のある奴だから、何か感づかれはしなかっただろうか。隠しきれると思っていたのに、いつのまにこんなにも耐え難く疼く思いを抱いてしまったのか。暫くは会えない長い別離も、丁度良い折だったのかもしれない。どうせ触れられないものならば、手の届かない場所にある方が、苦しまずに済むかもしれないのだから。

 

40.忍ぶれど色に出にけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで

 それは久方ぶりに休暇を取って、遠い王都メルトキオから、里へと帰っていた時のことだった。
「さてと、掃除もできたし衣替えもしたし、これで一段落ついたかね」
 住人が長く家を空けていると、どうしても細々した所に手が届かない。そう度々里帰りばかりしてもいられないから、自然、たまの休みに帰る度大掃除をすることになる。
「精が出るな、しいな」
「ああ、おろち。ちょうど片づいたとこなんだ、お茶でも飲んでいきなよ」
「そうか、では遠慮なく上がらせてもらおう」
 庭先から声をかけてきたのは幼馴染み、勝手知ったるなんとやらという奴で、縁側から気軽に入ってくる。こちらも慣れたものだから、特に気にもせず台所へ立つ。
「お待たせ」
 適当な茶菓子を見繕い、盆に載せてきて卓に置く。急須から湯飲みに茶を注いで、合わせてそれぞれの前に並べた。
「片づけが終わったなら、これでやっと休めるな。里にはいつまでいられるんだ?」
「それなんだけどね、また明日には戻らなきゃいけないんだ。だから間に合って良かったと思ってたとこなんだよ」
 精霊召喚の技術の習得と、研究所への協力があたしの今の任務だけれど、ハーフエルフばかりの精霊研究所にそうそう暇な時期などない。あたしは形ばかりとはいえ客分だから休めるだけで、そこで働くハーフエルフたちには休暇なんてものはありはしないのだ。
「今回もまた随分遽しいんだな。タイガさまにお願いすれば、もう少しゆっくりするくらいの休みは取れるだろう?」
「そりゃそうだけど……今のままでもなんとかなってるんだから、これ以上休ませてほしいなんて贅沢だよ」
「だが、あまり根を詰めすぎると体の方が参ってしまうんじゃないのか」
 昔馴染みならではの優しい気遣いに感謝しつつも、心配させぬように殊更明るい笑みを作る。事実それほど辛い務めではないから、無理をしているわけでもなかった。
「大丈夫だよ、向こうでもそれなりに休みは貰えてるんだからサ」
「だが、このところ一度の滞在期間も延びているだろう。里に顔も出せぬほど忙しいのなら、やはりどこかに無理があるんじゃないか」
「別にそんなことは、……あ」
 言いかけた言葉を呑み込んだのは、里帰りが減った理由にはたと思い至ったからだ。貰っている休みの頻度自体は変わりないのに、以前ほど足繁く帰ってこなくなったのは。
「……しいな? どうした?」
「あ、いやだから、その、な……なんでもないんだよ、あははっ」
 訝しげに尋ねられて、中断していた思考が現へと呼び戻される。あからさまに不審な態度になってしまったが、本当のことなんてとても言えやしない。
「なんでもないようには見えないが……」
 苦し紛れの言い訳すらも、思いつかずに愛想笑いで誤魔化した。どうか顔が赤くなっていませんように、こんなとき感情が隠しきれない己の不覚が情けなくてちょっと泣きたくなる。
「まあ、体を壊さないように気をつけてくれればそれでいいがな」
「それは、うん。大丈夫だから、そんなに心配しなくても平気だから……」
 どうにか場を繕えたのか、それ以上は何も聞かれなかった。ほっと一息ついた頃、茶を飲み干したおろちが席を立つ。
「それじゃ、俺はそろそろお暇しよう」
「そっか。ゆっくり話もできなくて悪いね」
「いや、忙しい所に邪魔して悪かった」
 そんなことないのにと言いながら、縁側へと戻るおろちを見送りに出る。庭に下り草履を履いたところで、振り返ったおろちが口を開いた。
「以前から聞こうと思っていたんだが……」
「ん、なんだい?」
「誰か、王都に男でもできたのか」
「……え、えぇっ!?」
「違うのか? 里を離れねばならないというのに、そわそわして妙に嬉しそうだから待っている相手でもいるのかと思ったんだが」
「そ、それは……そんなことない、っていうか、別にそんな相手はいないっていうか、だからつまり、あたしはそのっ……!」
 ああ、我ながらなんてわかりやすいんだろう。こんなにしどろもどろになっていては、否定したところでなんの意味があるのだろうか。だからといって肯定なんてもっとできない、大体あいつとはそんな甘ったるい関係なんかでは断じてないのだ。待ってるとか早く帰ってこいだとか、確かに言われたけれど言葉通り素直に実行してしまっていたなんて、それも言われて初めて気がつくなんて、浮かれているにもほどがあるだろうに。
「……何も悪いと言っているわけではないんだがな」
 小さく溜息を吐いて苦笑して、それじゃあと幼馴染みは去って行ったが。
 すっかり熱くなってしまった頬の温度は、まだ当分引いてくれそうにない。

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