34.誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに

 以前にこの場所を訪れたのはいつだったろうか。片手では足りない年数が経っているはずだが、入り口の大鳥居も里の家々も、初めてここに来た時から目立った変化は見られなかった。
「いつ来ても、ここは変わらないわね」
 通された頭領の家で、出された温かい緑茶を一口啜る。今ではこのミズホ特産の茶葉も、大きな街ならばどこでも手に入るようになった。
「古き伝統を守り伝えるのが我らの流儀ですから」
 前に訪ねた時にはまだ代替わりして間もなかった若き頭領は、数年を経た今ではすっかり落ち着いた大人に成長していた。唯一これだけは忍びらしからぬと言わざるを得ない、親譲りの派手な赤毛が束ねても尚くるくるとはねているところが、彼の幼い頃を思い出させるよすがとなる。
「私には気を遣わなくて結構よ。そんな堅苦しい話し方をされたら笑ってしまいそうだわ」
「あー、やっぱり? 俺ももういい年なんだけどな、先生には敵わねーなぁ」
「当たり前です。悪戯したあなたのお尻を叩いてあげたこと、忘れたとは言わせませんからね」
「これだからハーフエルフは卑怯なんだよなー、俺がじいちゃんになってもまだそれ言われそうじゃんか」
 貫禄ある頭領からは程遠い、くだけた口調で話す姿はかつて共に旅をした頃の彼の父親によく似ている。細身だが精悍な体つきも、整った顔立ちも生き写しと言っていいほどだが、ふとした時の表情は驚くほど母親そっくりで、昔からよく驚かされた。
「私はあなたの子供どころか、孫より長く生きるのでしょうからね」
 あれから随分長い時が流れた。昔馴染みの知人たちを次々と見送り、残る仲間はもう同族である弟とその伴侶だけ。彼らの子供も今は長じて、更に孫の世代を育てている者も多い。
「そういえば、あなたのお子さんは元気かしら?」
「元気も元気、お転婆過ぎて手を焼いてるくらいよ。一昨年下の子が生まれたんだけどさ、また赤毛だったんだよねー。ったく、どんだけ強い遺伝子なんだか」
 彼にも既に妻子がある。孫娘が生まれたと、彼の母親から手紙を貰ったのはもう数年前の出来事だ。
「一昨年、ということは……」
「母さんはもう寝ついてたけど、抱かせてやるくらいのことはできたよ。それからすぐだったっけな」
「もう思い残すことはない、ということだったのかしらね」
「多分ね。父さんをよろしく頼むって言われたよ」
 若き日の放蕩ぶりが嘘のように、結婚後は一転、愛妻家へと変貌を遂げたそのひとは、愛した妻の後を追うように呆気なく逝ってしまったと聞いた。揃って波乱の多い人生を歩んできた彼らはきっと、穏やかな余生を送って今は悔いもないのだろう。

 今日は是非泊まっていくようにと勧められ、素直に甘えることにして、客間へと通されてふと庭を見た。先代の女頭領が健在の頃、見慣れない庭木を見て何かと問うた、その木が今も尚青々と葉をつけていた。
『あれは松っていうんだよ。万年を生きるって言われててね、縁起ものでもあるのサ』
 脳裏に若き日の彼女の言葉が蘇る。本当に万年も生きるのかはともかくとしても、あの頃と変わりなく存在しているのは確かなようだ。
「……いくら昔から知っていても、あれを友人にするわけにはいかないでしょうね」
 やがていつの日か、同族でない知己は皆いなくなってしまうのだろう。彼らの子孫もまた、世代を重ねれば自然と遠離っていくのが世の習い。
 エルフの血を受けて生まれたもののさだめだと、疾うに受け入れたことだけれども。胸の内に去来する、寂寥の感は容易く拭えるはずもなかった。

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