行方知らずの恋路
恋占いなんて、自分には縁のないものだと思っていた。だからわざわざそんなところに立ち寄ったのは、他に頼める相手がいないのだと申し訳なさそうに言ってきた少女につきあってやりたかったという、それだけの理由。
占った意中の人との相性は至極良かったらしく、嬉しそうに笑う彼女を微笑ましく見守って、それで帰るつもりだった。なのについでだからお連れの方もと、断りづらい笑顔で促されて。なんとか断ろうと奮闘したはずが、いつのまにやら言葉巧みなセールストークにすっかり乗せられてしまっていた。とんだ誤算だ。
「それじゃあ、気になる相手を思い浮かべて下さいね」
なんて言われたって、占いたい相手など急には思いつけなかった。気になる相手はいるにはいる、けれどもう占うまでもなく、望み薄だと知れていたから。
「あらあら……」
迷っている間に結果が出たのだろう、占い師の声は随分と呆れた様子だった。そんなに凄く悪かったのか。元々期待なんかしてないけれど、改めて突きつけられるとさすがに辛い。聞きたくないなあと思いながら、それでも仕方なしと少し身構えた、が。
「私をバカにしてるの? 貴方たちとっくにラブラブじゃないの」
「…………えっ?」
耳に届いたのは意外な言葉。思わず呆けた声が出てしまって、慌てて口を塞ぎながら言われたことを反芻する。何? とっくにラブラブって、誰が? あたしと、あいつ、が……?
「でも……お互い素直じゃないわね。彼はどうやら、あなたには他に気になる人がいると思ってるみたい。あなたはあなたで、彼には好かれてないと思い込んでる。違うかしら?」
まだ上手く飲み込めていない状態で、次々に情報を与えられて混乱した。ぱくぱくと無様に口を開閉しながら、なんとか理解した文を繋ぎ合わせて意味を読み取る。やっとのことでその内容を把握して、相手のことはともかくも自分についてはまったくその通りであることに愕然とした。どうしてそんなことがわかるんだ。
「わ、しいなよかったね! 両思いだよぉ」
返事をする余裕もないあたしの隣で、我が事のように喜ぶコレット。鈍感なように見えて聡い彼女のこと、思い浮かべた相手が誰かなんてことはきっとお見通しなのだろう。だからこそ、猛烈な恥ずかしさに勝手に頬が熱くなる。
「あ、はは……そんな、そんなはずないよ……」
半分は当たっているだけに、明確に否定はできなかった。でも残りの半分はとても信じ難くて、期待と諦めが綯い交ぜになる。本当ならどんなに良いことだろう。いつまでも消せずに燻る思いが報われるなら。
「どうして? 私、当たってると思うよ。私の占いも……その、私の分は、当たってたし。それに見てたらわかるよ、ゼロスはしいなのこと、」
「ちょ、ちょっと待っとくれよ! 頼むからコレット、その先は……」
真剣そのものの表情で、転がり出た名前に動揺を隠せず制止をかけた。鏡を見るまでもなくわかる、今の自分の顔は絶対に赤い。
「あ……ごめんね、余計なこと言っちゃったね」
「いや、いいんだ……。あーもう、そんなにあたし、わかりやすいのかねぇ……」
「お取り込み中のとこ悪いけど。関係を発展させたいなら、どっちかが勇気を出して踏み出すことね。ちなみに告白するなら今日の恋愛運は悪くないわよ、お嬢さん」
「こっ……!」
割って入った占い師の言葉に、今度こそ答えられず絶句する。正面には、なんとも楽しそうな訳知り顔。ぎぎぃ、と音のしそうな首をどうにか回して隣を見れば、こちらは僅かだが確実な期待を含んだ真摯な目。
「そんな、簡単に……できたら苦労しないっていうか、……」
元から小さかった否定の声は、尻窄みになって静寂に消えた。
「なんであたし、こんなことしてんだろ……」
珍しく、今日は一人ずつに割り当てられた宿の一室。
らしくもなく念入りに髪を梳いてから結い直し、服の皺を伸ばして帯の結び目も整えた。言われなければわからないような、微妙な差異に気を遣ったりして一体何をしているのか。
あれから占い師とコレットの二人がかりで、どうするとも言っていないのに何故だか今日のラッキーアイテムやらカラーやら、可愛く見せるための小技やらを散々伝授された。それらの大半はあまりにも大仰でとても実行できるものではなかったが、僅かばかり許容できたものをこうしてやってみたりしている辺り、自分でもどうかしていると思う。
「……言えるわけ、ないじゃないか」
とっくに終わった関係なのに。まだ好きだなんて、忘れられなかった、なんて。
「なーにが、言えるわけないのー?」
「…………うわあああっ!!」
「おー、驚いてる驚いてる。すっげー跳ねたな今」
「な、なん、なんであんたがいるんだいっ……!」
あんまりだ。不意打ちで声をかけられて、文字通り飛び上がるほど驚いた。
いつの間にやってきたのか、開いた扉の枠に寄り掛かったゼロスが、見慣れたにやけ顔でこちらを見ている。廊下を来る音も、扉を開く音にも気づかなかったなんてくのいち失格もいいところだ。
「なんでって、コレットちゃんに呼ばれたからよー。しいなが話したいことがあるみたいだからって」
言いながらこちらにやってきて、勝手知ったる様子で隣に座る。安宿の狭い部屋の中、座れる場所はベッドしかない。
「で? しいなちゃんはこの麗しのゼロスさまに何をお話したいのかなー? あ、一晩のアバンチュールのお誘いなら大歓迎よ」
「そんなわけないだろ! このエロ神子っ」
ふざけた調子の軽口に、反射的に怒鳴り返してしまってからはっと気づく。やっぱり駄目だ、こんな調子じゃ。伝えられるわけがない。本当の気持ち、なんて。
「……別に、大した用じゃないよ」
占いはあくまでも占いだ。絶対ではない。確かに嫌われているわけではないのだろう、もしそうなら彼は近づきさえもしないはずだ。こうして話を聞きに来ることもない。ただ昔馴染みの腐れ縁だから、一緒にいて居心地の悪い相手ではないから。ただそれだけで、だからそれ以上には。
「ふーん? 大した用じゃない割には、随分悩んでたみたいだけどー?」
俯き加減の顔を、覗き込まれて心臓が跳ねる。
「あんたっ……い、一体いつから見てたのさ!」
「そーだなーおまえが帯弄って座り直して溜息三回ついた辺りから? いつ気づくかなーと思って見てたんだけどいつまでも気づかないんで声かけてみた」
「そんな前からかい……。全く、趣味が悪いよ」
どちらかというと、相手より自分の方に呆れて頭が痛い。いくらなんでも気を抜きすぎだ。
「本当に、用があったわけじゃないんだよ。コレットは気を利かせてくれたんだろうけど、あたしは何も……」
言いかけて、しまったと気づいて言葉を切った。失言だ。
「なんだよ、やっぱ話あるんじゃねーか。なんにもなきゃいちいち呼びやしないでしょ、コレットちゃんは」
「いや、だからあたしは言うつもりはなくてっ……!」
「コレットちゃんは言うべきことだと思ったから呼んだんだろ。ってことはだ、つまりそれは俺さまも聞くべきだってことでしょーよ。違う?」
いつになく強い調子で言い募られて、反論の言葉が見つからない。言われれば確かにその通りで、彼女は『余計なお節介』というものを好まない性質だ。単なる好奇心なんかではなく、これが誰かの為になると、確信がなければ差し出がましい真似はしない。だからこそその言葉には重みがある。
「言えよ。茶化さずに聞いてやるから」
今までに幾度も聞いたことのない、少し強張った低い声。顔を上げて絡んだ視線が、知らない熱を孕んでいた。
「……こっちだって、それなりに覚悟して来てんだよ」
ぽつりとつけ足されたその言葉は、何故だかひどく悲壮に思えた。
- 2009/04/24