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26.小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ

 墜落したレアバードの回収に、向かった山頂へと続く道。緩やかとは言えない急斜面、その傍らの岩場に小さな花が咲いていた。山間の強い風に煽られて、吹き散らされそうになっている白い花片。それでも支えているか細い茎は折れることなく、まっすぐに凛と立っている。
「おーい、しいなぁ? 何ぼーっとしてんのよ、置いてかれるぜー?」
「……あ、あぁ。今行くよ」
 不審げに問われ、我に返った。おざなりな返事を投げて踏み出しかけて、もう一度だけちらりと振り向く。揺れ止まぬ可憐な白い花。繊細でどこか儚げで、清楚なのに決して折れない芯の強さが、今は心をなくしてしまった少女のかつての姿を思い出させた。
「なー、行かねーの?」
「うるさいね、もう行くってば」
「へいへい。気になるなら帰りにもっかい見れば?」
「……そうだね。まだ散らないでいてくれたらいいけど」
 後半は呟くようにぽつりと言って。
 離れてしまった距離を埋めようと、振り切るように足を早めた。

 彼女の心が、いつ戻ってくるのかはわからない。
 でも叶うなら、彼女に似たあの花が散ってしまうその前に。

(一緒に、見られたらいいね)

 そうしたら、きっと。
 あの春の陽のような明るい笑顔を、また見せてくれると信じている。

 

27.みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ

 思い出せば笑ってしまうほど、ありきたりで陳腐な出逢い方だった。街で見かけて声をかけて、これ以上は望めないほど素気なくあっさり切り捨てられて。その遠慮のカケラもないストレートさが、何故だか妙に気に入った。慌てて追いかけて口説いたけれど、まだ色事への興味すらない世知らずの少女は、甘い笑顔になど見向きもしない。とっておきの美辞麗句も功を奏さず、終いにしつこいと殴られた。初めての鉄拳制裁はさほど痛くはなかったが、こんな体験、忘れようにも忘れられない。

「度胸あるよなぁ。このメルトキオのど真ん中で、勿体なくも麗しの神子さまをぶん殴るとは」
「知らなかったんだから仕方ないだろ! 初対面の女にいつまでもしつこくくっついてくるんだから当然だよ」
「ミズホの女は淑やかであれってのが里の教えじゃなかったっけー?」
「うるさいねぇ、淑やかと男の言いなりになるのとは違うんだよ!」
「まー、そりゃそーだけどー」

 問題は、だ。
 非常にインパクトのある出逢いではあったが、断じて一目惚れではなかったのだ。確かに見慣れないミズホの装束や、まだ幼さが残る中に一筋見えた愁いの影は目を惹いた。それでもたったそれだけで、こんなにも長引く恋の魔術にかかったなんていうことは。

「いつから、そーなっちまったんだかなぁ……?」

 あの日あの時あの瞬間、恋に落ちてしまいました、と。
 簡単に言える恋の方が、きっと扱いやすかったろう。いつのまにか気づけば惚れていたなんて、これ以上タチの悪いものはない。

「面白いから構ってただけだったんだけどなー」
「さっきから一体何の話だい。つまんないこと言ってる暇があったら、さっさと仕事の続きしな」
「へいへい、わかってますよーっと」

 今ここにある思いの源。
 胸のうちを一人辿っても、どこにあるのかは知れぬまま。

 

28.山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思えば

 しんと冷え切った冬の空気が、晒したままの素肌に触れる。襟巻きを忘れてきてしまったから、頬だけでなく首元にまで、遠慮なく入り込む風が冷たい。

(今日も、よく降るねぇ)

 白く霞む雪空を見上げた。ひらりひらり、羽根のように舞い散る六花が、葉を落とし枯れ果てた草木を染め上げていく。
 山裾にひっそりと位置する隠れ里は、冬の訪れと共に雪に沈む。この情景も枯淡の趣と取ればまた美しい、けれど動くものの絶えた世界はどうしたって寂寥の感を拭えない。

(これじゃどこにも行けないし……誰も来られない、ね)

 この天気では、レアバードは飛ばせない。だから当分、あの賑やかな客人がここを訪れることもないだろう。勿論、別に待っているわけじゃないから構わない。構わない、けど。

(来ないってわかってると、意外と寂しいもんなんだね)

 冬晴れの穏やかな陽射しと青空が、今は少しだけ恋しかった。

 

29.心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどわせる白菊の花

"今朝、庭に出てみたら初霜がおりてたんだ。庭中の地面が銀色に光って、真っ白になってた。凄く綺麗だったよ。部屋に活ける為の菊を切りに行ったんだけど、白い花だから一瞬どこにあるかわかんなくなるくらいでさ。元は同じ水なのに、雪の白さとは随分違うのが面白いよね。"

 そこまで書いて、筆を置いた。
 これは業務連絡ではない私信。紙が少し余ったからと、誰にともなく理由をつけて、必要のないことを書き添えた。
 会いに来てとも、行ってもいいかとも書けなかった。だってあたしは、そんなことの言える立場じゃないから。

 すっかり馴染んでしまった距離感を、今更変えるのは難しい。居心地のいい関係が壊れてしまいそうで、そうなったらもう戻れないんじゃないかと怖くなって。いつものようにじゃれ合う中の、僅かな隙間に覗く知らない影に怯えている。
 真っ白な霜の中にあっても、紛れた白菊ならば当て推量で探せるけれど。
 あんたの心は、今どこにあるんだろうか。

 

30.有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし

 白々明けのうす蒼い空に、細く浮かぶ月を見る。
 鮮やかに冴えた月白の影が、訳もなく冷たく思えてならなかった。
 満ち欠けの不可思議がもたらす繊細な形は美しいのに、明け方を待たねば見ることも叶わぬそのつれなさが、あの日の我が身を思い出させる。

"さよなら"

 あまりに呆気ない別れだった。
 聞くことも適わなかった最後の言葉が、届かなかったその事実すら覆すようなリアルさで耳に蘇り脳裏を巡る。それでよかったはずなのに、聞き分けなく拒否されても困るばかりだったに違いないのに、あっさりと受け入れられたのが悲しいなんて。
 捨てないでと縋りつかれればよかったのか、身も世もなく泣き伏して嘆いて欲しかったのか。そんな愚かな真似をする女でないのはよくよく承知の上なのに、望み通り突き放しておきながら勝手なことをと笑うしかない。
 切り出したのはこちらの方だ。裏切ったのも、傷つけたのも。その方がいいのだからと誤魔化して。

 冷淡に切り捨てたつもりで捨てきれなかった、やるせない思いの残滓ばかりが積もり重なる。
 眠れない夜を無為に明かして、暁に想うのはただ、ひとり。 

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