嘆きの樹

 それはまるで、思い切り頭を殴られたような衝撃だった。一瞬で色を失った視界に、見慣れた軽薄な笑顔が映る。その口が何を言っているのかわからなかった。とにかく飛び出して締め上げてでも連れ戻さねばと思ったのに、硬直した足はぴくりとも動いてくれはしない。やがて消え去ったその姿が両の瞳に焼きついて、じわり眼底に涙が滲む。襲ってきたゲートキーパーを代わりのように睨み据え、あんな奴の為に泣くものかと必死で唇を噛み締めたのに、やっぱりしらしらと頬を伝うものが止められなくてただひたすらに悔しかった。

「コレットを助けに行かないと!」
「そうですね、急ぎましょう」
 ゲートキーパーと供の天使二体を倒すと、もう道を阻むものはない。彼らが消えていった魔方陣はまだ作動したままで、進むのにも支障はないだろう。急場でも最低限の用意として、先ほど負った傷を癒し道具類の確認をする仲間たちを見つめながら、乾きかけた涙の痕をぐいと拭った。
「……しいな? 怪我でもしたのか?」
 その動作を目敏く見咎めたのだろう、ロイドの言葉に身を竦ませる。そんなつもりはないのだろうに、剥き出しの心を覗かれたようで恐ろしかった。
「いや、平気……だよ、なんでもないから、大丈夫」
「平気そうな顔ではなくてよ。怪我をしたのなら素直にそうお言いなさい」
「そうだよ、ほら遠慮しないで先生にちゃんと治してもらえって」
「……ごめん。ごめんよ、本当にあたしは、大丈夫だから」
 ロイドだけでなくリフィルだって、本当はコレットのことで頭が一杯のはずなのに、そうやって案じてくれるのが申し訳なくてならなかった。だってあたしは、あたしだってコレットのことは好きなのに、大事な仲間だと思っているのに、なのに頭を占めていたのは彼女の心配よりも裏切り者のことばかり。だからそんな身勝手なあたしを、気にかけてもらう理由なんてどこにもないのに。
「しいな……!? な、なんで泣くんだよっ、どっか痛いのか? 具合悪いのか!?」
 違うのだと首を振りながら、繰り返し謝罪を口にする。そのうちに収めたはずの涙がぼろぼろと溢れてきて余計に情けなくなって、これじゃあもう顔も上げられない。こんな所で足を止めている場合じゃないのに、どうして止まってくれないのだろう。何が一番悲しいのかさえ、自分でもよくわからないほどなのに。
「ごめんよ、あたし……一番、つきあい長かった、のに、全然わかんなくて……っ、まさか、こんなことするなんて、気づかなくて……!」
 一番近くにいたはずなのに。ずっと側で見てきたのに。少しくらいは大切にされているんじゃないかと、思ったのは全て独り善がりの思い上がりでしかなかったのか。辛い時に差し伸べてくれた手の温かさとか、何も言わず側にいてくれた大きな背中とか、信じていたものが全部裏返しにされた悲しさと悔しさがごちゃ混ぜになって溢れ流れて、濁流となって自分に向かう。信じていたのはあたしだけ、何ひとつ信じてもらえてなどいなかった。騙されていたことよりも、その事実だけがあまりにも哀しい。
「支えに……なれるかもしれないって、思ってたんだ。だけどあたしじゃ駄目だった。あたしなんかが、あいつの傷を少しでも癒してやれるだなんて、勘違いもいいとこだった」
 昨夜、雪の中で駆け回った彼の笑顔を思い浮かべた。つきまとっていた影が薄れて、屈託なく笑っていたように思えたのも全て幻だったのだろうか。一緒にいい思い出を作ってくれと、夜の白むまで遊んだのも束の間の夢でしかなかったと。
「俺も同じだよ。おちゃらけてた裏であいつが何を考えてたのか、全然わかってやれてなかった。しいなだけのせいじゃない」
 右肩にぽんと乗せられる、ロイドの手。次いで左肩と頭を一緒に、包むように抱いたのはリフィルの両腕。
「支えられていたのだと思うわよ。彼が何を選んだとしても、私たちに見せていた姿の全てが偽りだったわけではないわ」
 力なく垂らしたままの左手に、そっと触れる柔な感触。小さな手の持ち主はジーニアス、傍らにはプレセアの姿もある。
「しいなといる時のゼロスは、なんだかいつもとちょっと雰囲気が違ってた。ボクには、そんな風に見えたよ」
「選ばなかったからといって、どうでもいい存在だったわけではないと……そう思います」
「これが今生の別れというわけでもない。我々がクルシスを倒しさえすれば、全てが上手くいくのではないかな」
 少し離れて、穏やかに微笑んでいるリーガル。
 気がつけば全員に囲まれて、諭される形になっていた。嬉しいと同時に恥ずかしくて、上がりきった熱が冷めていくのが感じられる。
「ご、ごめん……! 一人で取り乱したりして、迷惑かけて……」
「気にすんなよ、しいなの気持ちもわかるからさ」
「さあ、落ち着いたようだし出発しましょう。早くコレットを助けなければ」
「ああ!」
 冷静にはなれたとしても、やはり胸の奥に重く沈んだままの棘は消えない。それでも進まなければ、と思う。まずはコレットを助け出して、そうしたら今度はあいつを捜そう。見つけ出して一発と言わず、泣いて謝るまで殴ってやるのだ。

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