雪原に咲く [2]

「たっだいまー!」
「おかえり、みんな! アルテスタさん、どうでしたか?」
「もう大丈夫よ。まだ動ける状態ではないけれど、命の心配はないわ」
「よかったぁ……。フラノールのお医者さまって凄いんですね」
 宿屋一階の酒場兼食堂。朝イチで帰ってきた護衛組と、出迎えたほのぼのカップルが一塊になって喜ぶ傍ら、熱いコーヒーを啜って欠伸をひとつ。
「あら? しいなの姿が見えないけれど……」
 さすが慧眼なリフィルさま、一瞥しただけで一人足りないのに気づいたらしい。
「あいつならまだおねんね中。ちょおーっと、昨日無理させすぎちゃったみたいでさー」
 口を開く側から出てこようとする欠伸を噛み殺し、答えた俺さまの美声も今朝は些か掠れ気味。珍しく喉も体も酷使した上の寝不足は、こちらもなかなか辛いものがある。
「ゼロス、一体何やってんのさ……」
「がきんちょ、今やらしーこと考えただろ」
「なっ! やらしいのはボクじゃなくてゼロスだろっ!?」
「俺さまやらしーことなんてしてないもーん。朝まで遊んでただけだもーん」
 慌てて真っ赤になるちびっ子を、からかうのは大変面白い。まあ、誤解するようにわざと意味深な言い方をしたんだが。
「……何をしていても構わないけれど、行動に支障のないようにしてちょうだいね?」
 これ見よがしに特大の溜息を吐いてみせるリフィルさまに、はあーいと素直な答えを返しつつ。
 テーブルに行儀悪く肘を突き、薄く目を閉じて昨夜の記憶を手繰り寄せた。


「なぁ、折角だから俺さまたちも出かけてみないー?」
 きっと自覚している以上に、随分と浮かれていたのだろう。でなければこんな真夜中に、それもこの雪景色の中へなど、絶対に出て行こうとは思わない。
「あたしたちも、って?」
「ん。ロイド君とコレットちゃんもお出かけ中なのよ、これが。二人仲良く寄り添っちゃってさー、もう見てらんないったら」
「あんたねぇ……。出歯亀なんて趣味の悪いことするんじゃないよ」
 額を押さえて嘆息するしいなを笑って流し、近づいてさっとその手を取った。
「まーまー、別に覗き見してたワケじゃねーのよ。ってことで俺さまたちも夜中のデートといきましょー」
「え、ちょっ……、待ちなって、外出るんなら部屋戻ってコート取って来なよ! それだけじゃ寒いだろ!」
 ぐいぐいと引っ張られながらも、飛んできたのは罵声ではなくて案じる言葉。そんなに俺さまの体が心配ですか。ああもう可愛いったらありゃしない、ただその気持ちは非常に嬉しくって正直堪らないわけですが、でもね。
「だいじょーぶだいじょーぶ。俺さま今しいなの愛に包まれちゃってるしー?」
 愛は寒さにも勝る……時もある、んだぜ。そう、正に今この瞬間とか。

 今日の泊まり客は自分たちだけだと知らなければ、周りに迷惑だと怒られたかもしれない。けれど少々騒ぎつつも、どうにか外へと連れ出すことに成功した。まあ、宿の主人や従業員には十分迷惑な話だったのだろうが。
 一歩宿を出てしまえば、もうそこは寝静まった街の中。さすがに騒ぎ立てるのは憚られ、自然口数は減り新雪を踏み締める音だけが慎ましく響く。先客と行き会わぬよう、高台周辺だけは避けて適当な方向に進み続けた。暫し続く無言のままの逃避行。やがて繋いだ右手がきゅっと握られ、密やかな声が問いかける。
「どこに行くつもりなんだい?」
 振り向いて見やった表情は、訝しげというよりも不思議そうな色が強い。怪しげな場所に連れ込まれるだの、人気のない路地裏で襲われるだのといった懸念は皆無であるらしく、危機感のなさを案ずるべきか、信頼の表れと喜ぶべきか少々迷う。もっとも、信頼されすぎるのも困りもの。少しくらいは意識していただきたい、それなりに下心のある身としては。
「ないしょー」
 実際は特に当てなどないのだけれど、なんとなくはぐらかしてみたくなった。驚いたように目を丸くするのが微笑ましい。切れ長の目と豊満なボディラインのせいで大人びて見られがちな彼女だが、こんな表情をすると驚くほど幼げで――時々、守ってやりたいと、思う。
 でもきっと、言えばそんな柄じゃないと照れてまた怒るのだ。本当は嫌いじゃないくせに。だから言わないその代わりに、こちらからも手を握り返した。
「……まあ、いいけどサ」
 ぼそりと呟いたのは結局、横暴も受け入れてしまう大らかな許容。気を許した相手には割合誰にでも甘い彼女だが、中でも自分には取り分け甘くなっている。それは偏に、彼女にも彼女以外に対しても、『しょうがない』と言われるような言動が多いせいだとはわかっているが。
「お、良い感じに誰もいねーな」
 辿り着いたのは雪像の置かれた広場。さすがにこの時間だと、見物客も絶えている。
「なんだい、ここに連れてきたかったのかい?」
「いやー、実は特に考えてなかったりして」
 笑いながら歩みを進め、街路樹を囲う柵に背を預けた。
「だろうと思った」
 同じようにやってきたしいなが、こちらもすぐ隣の位置に寄り掛かる。
 二人分の吐息が白い。相変わらず止む気配もないこの雪も。普段は人通りがあるから、踏み荒らされ土の色が透けて見える通路までも、今は覆い尽くされた銀世界。ここまでやってきた足跡さえも、順番に消え去って先の方までは見つけられない。
「どこもかしこもまーっ白だーねぇ」
 この身にはいっそ嫌味なくらい。
 大袈裟に両手を持ち上げ伸びをして、途端進入した冷気に震え上がる。
「おーさみぃさみぃ。腕上げちゃまずいなコレ」
「だからコート取ってきなって言っただろ。寒いんなら宿に戻った方が……」
「いーのいーの。めくれたから寒いだけ、ちゃんとくるまってたら平気だぜー」
 言って乱れたストールを整える。きちんと首回りに巻き直して、大人しくしていればすぐにぬくもりが戻ってきた。
「いいのかい。その……こんなとこに、いて」
 気遣わしげなその言葉。ミズホの情報網は伊達じゃない。やっぱり知られてるよなあと、苦笑して軽く頭を振った。視界一面の白の中、揺れた髪の紅がひどく鮮やかだった。

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