雪原に咲く [1]

 テセアラの神子の雪嫌いは、実は知っている人間も少なくない。毎年メルトキオに雪の季節がやってくる度、南方のアルタミラへと逃げ出していれば、何を言わずとも気づく者は気づくのだろう。その理由までも判る者はさすがに多くはない筈だが、聡い人間なら推測するのは難しくない。十年以上も前にちらりと顔を合わせたきりの、現在の旅の連れの一人もそうだったように。

「……さっみぃ」
 上着の前をかき合わせ、掌に息を吹きかける。外に長居するつもりはなかったから、外套でなくあり合わせの上着を引っかけてきただけだったのが悔やまれた。
 決戦を前に、我らがリーダーと少し話でもと思って部屋を訪ねたのだが、考える事は皆同じようで。先約の少女と共に宿を出て行く後ろ姿を黙って見送り、なんとなくそのまま眺めていたらすっかり冷え切ってしまってこのざまだ。まあ、自業自得だとは思うけれども。
「っくし」
 くしゃみと同時、ぶるりと震えがきた。
 まずい、このままでは風邪をひきそうだ。早く部屋に戻ろうと、しんと冷えた廊下を進む。
「ゼロス?」
「お。しいなじゃん、何やってんのこんなとこで」
 階段を上りきり、あとは突き当たりまで進むだけというところで顔を合わせたのは珍しい相手。雪は嫌いでも寒さ自体は特に苦手でもないこちらとは違い、彼女は大変な寒がりだ。一段と冷え込む夜に外出など、用がなければしないだろう。
「そりゃこっちの台詞だよ。あんたこそ何してんのさ、そんな格好で」
「そんな格好ったって、一応宿の中ならおかしくはないでしょーよ」
「外に出てたんだろ? 雪、肩についてる」
「……ありゃ。俺さまとしたことが、気づかなかったぜ」
 指摘された左肩、僅かに残っていた雪を払い落とす。さほどの量でもなかったが、払ったその手が濡れて余計に冷たく感じられた。
「全く……コートもなしで外に出るなんて、正気の沙汰とは思えないね。ほら早く部屋に入って暖まりな。髪、湿ってたらちゃんと拭くんだよ」
 そう言って道を空ける彼女は、どう見ても外出するとしか見えない重装備。厚手の外套にマフラーも巻き、しっかりと手袋もしたその手の中には暖かそうなストールがある。
「おまえ、どっか行くとこだったの?」
 外の高台はロイド君とコレットちゃんが満喫中。どこに行くかは知らないが、鉢合わせしたら気まずかろうと気を利かせたつもりだったのだが。
「え、ああ、いやその……別にどこにも、っていうかもういいというか……」
 どうにも歯切れの悪い返事に首を傾げる。行き先を知られたくなかったのだろうか、少しばかり頬を染めて視線を逸らす姿はなかなかそそられるものがある。
「あー。ロイド君にデートのお誘いでもするつもりだった? なら残念、先約ありだったみたいだぜ」
 でひゃひゃ、と殊更不躾な調子で笑ってやれば、予想通り悲しげな顔をする……かと、思いきや。
「なっ……、なんでロイドが出てくるのさ! あたしはただあんたが、っ」
「……へー、俺さまが、どーしたのかなぁ? しーいなちゃん」
 しまったと言わんばかりの表情で、慌てて口を噤んだ彼女。御丁寧に片手を口元に当ててみちゃったりして、なんともまあ可愛らしいこと。その逆の手に抱かれているふかふかのストールは、そういえば外套の上には普通掛けない。
「もしかして、俺さまがいないから心配して探しに来てくれちゃったりしちゃったりしてー? その暖かそうなストール持ってさぁ」
 ナンパ用の気障な笑顔で、一歩分、距離を縮めて迫る。柔らかい生地をちょんとつついて、指摘されれば言い訳も立たぬと諦めたのか。
「あんたが……外にいるの、部屋の窓から見えたからさ……。そんな格好じゃ風邪ひくだろうと思って、だからただそれだけでっ」
「それだけで、そーんな重装備してまで出てきてくれちゃったわけだ? ちょー寒がりのしいながねぇ」
 俺さま愛されてるぅ、なんて軽く言いながら。案じてくれていた事実が妙にこそばゆかったりして、でも素直に嬉しくもあって頬が緩んだ。
「……そーだよっ! あんただって大事な仲間の一人なんだ、具合悪くしたら心配するくらいには愛されてんだから気をつけなっ」
 多分半ば以上照れ隠しで、吐き捨てるように投げられた言葉の甘さ優しさが突き刺さるように痛かった。でもそれはきっと、甘受すべき痛みなのに違いない。
 ふん、とそっぽを向いた顔はそれだけでは隠しきれないほどに赤くて、微かな期待を胸に呼び込む。顔を見られなくて助かった。きっと今、自分はさぞみっともなく呆然とした面持ちでいるだろうから。
「ほらこれ! 折角持ってきたんだから、暖まるまでくるまってなよ」
 相変わらず顔を背けたまま、ぐいと突き出されたストールを受け取る。彼女の腕にしっかりと抱かれていたそれは、僅かながらぬくもりを残していて温かかった。
「うーん、しいなの愛を感じる……」
「なっ、馬鹿なこと言うんじゃないよ! そんなもんどこにもありゃしないんだからねっ」
「はいはい、愛は目に見えないもんだからー、俺さまとしいなのハートの中にさえあればそれでおっけーなのよ」
「だからないって言ってるだろー!」
 どうにか普段の自分を呼び戻して、いつも通りのじゃれ合いができれば今は十分。巻きつけたストールに頬摺りをして、流し目も忘れずにもう一押し。
「あ、しいなのにおい」
「ちょ……、この変態ー!」
 途端、襲ってくる鉄拳は常よりもなんだかキレが悪くて。その理由を思えばつい、胸が躍るのを止められなかった。

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