016 - 020

16.立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む

「それじゃ行ってくるよ。あんたたちも気をつけて」
 そう言い置いて踵を返し、レネゲードの連中の元へと歩き出す。これから暫く、あたしは彼らとは別行動だ。あたしにはあたしにしかできない役目がある。同行できないのは残念だし心配だってしないでもないけど、きっと大丈夫だと信じられるから。
「しいな!」
 数歩進んだ所で呼び止められた。何事かと立ち止まり振り向けば、そこにあるのは見慣れた笑顔。
「おまえも、無茶すんじゃねーぞ」
 言葉の割には緊張感のない口調に、何言ってんだいと軽く返そうとしたけれど。一瞬だけちらり、覗いた真剣な目の色がそれを止めた。
「……ああ、あんたもね」
 意識して、柔らかな笑顔を浮かべて答える。
 素直に心配だと言えないのはお互い様だから、らしくないと笑ってしまえない。
「早く帰って来いよ。俺さま首をながーくして待ってるから」
 その爆乳をなと、わざとらしく茶化してつけ足して。殊更に下品な調子で、誤魔化すように笑うから。
「こんな時にアホなこと言ってんじゃないよ!」
 怒鳴りつけてそのまま、背を向けてすたすたと歩み去る。これでいい。いつも通りのあたし達。涙ながらに別れを惜しむなんて、そんなのは絶対似合わない。
 
 尚も笑うゼロスの声を聞きながら、見えないようにそっと微笑む。
 どんな形でも、冗談に紛らせた下らない遣り取りの合間にでも、待ってると言ってくれたのが嬉しかった。だから。

(早く済ませて、帰ってくるよ)

 

17.千早ぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは

「こりゃまた見事なモンだなぁ……」
 珍しく、芯から驚き感嘆したらしい様子で言葉を切って。欄干から少々身を乗り出し、両手をついて渓流を見下ろす。自分も同様に眼下を眺めながら、ふと思いついたことを口にした。
「水を括り染めにしたみたいだ」
 流れのあちこちに、散り敷いた紅葉が止まって浮かび、透き通る水を鮮やかな紅に染め上げている。里の若い娘が着る晴着の、華やかな錦のような色合いが美しくて、自然が作り出す光景の妙に目を奪われずにはいられない。
「括り染め?」
「布の白く残したい所をね、糸やなんかで縛ってから染料に浸けて染めるんだよ。そうすると綺麗な模様になるんだ」
「ほー、ミズホ文化は奥深いんだな」
 なるほどと頷きながらの感想を、苦笑して見守り吐息をひとつ。
 ここは容易く踏み入れない場所だからこそ、荒らされることなく綺麗なまま残されているのだろう。遙か遠い神代の昔から、エルフ達の手により守られてきたことの僥倖を暫し思う。
「今度見せてよ、それ」
 せせらぎの流る音だけが作る静けさが、途切れた代わり。
「それって?」
 目をやった先に、穏やかな微笑。つられるようにこちらも、口元を緩めた。
「本物の括り染めってヤツ。キモノの柄なんだろ、たまにはミズホ流に着飾って見せてくれてもいいんじゃねーの?」
「……まあ、考えとくよ」
 戦装束ばかり着慣れたあたしは、あまりそういう娘らしい衣装は持ち合わせていないのだけど。そういえばおじいちゃんから成人の祝いにと、一着くらいちゃんとした晴着を仕立てようと言われていたんだっけ。
「期待して待ってるぜー?」
「とりあえず考えとくだけだよ」
「えー、そう言わずにさぁ。俺さまの為にひとつ!」
「はいはい、だから考えとくってば」
 お馴染みのじゃれあいを繰り返しつつ。
 もう一度、その紅色を目に焼きつけた。

 

18.住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ

 寄せては返す波の音が、微かに漏れ聞こえてくる。
 窓硝子一枚を隔ててすぐ向こう側が海なのだから、当然のことではあるのだが。いかな常夏の楽園アルタミラとはいえ、今はオフシーズンも最中で些か閑散とした時期だ。だからこその静けさであるのかもしれない。就寝時のBGMとしては、これもなかなか悪くない。
 ここ最近、ずっと遽しく過ごしていた。今日だって急遽決まった会議の為、遙々メルトキオからレアバードを飛ばしてやってきて、明日の朝にはまた蜻蛉返りだ。決裁が間に合わず残してきた書類の山は、まさか減るわけもないがそのままであるはずもない。倍に増えるくらいで済んでいれば御の字、執務机を埋め尽くすほどでなければいいのだが。
 そんな状況だから当然、最愛の恋人にももう随分と会っていない。あちらもあちらで忙しいらしく、仕事のついでにと訪ねてくれたのは一月前か、二月前か。顔を見たいのは山々なのに、状況がそれを許してくれない。せめて夢でくらいは会えたらいいのに、睡眠不足も極まればベッドに倒れ込むなり泥のような眠りに落ちるばかり。夢を見る余裕さえないのでは、会いに来てくれないなどと嘆く資格も与えられまい。
 "好きな人の写真を枕の下に入れて寝ると、その人の夢が見られるんですって"。いつだったか、夢見がちなハニー達の一人がそんなことを言っていた。思い人の夢を見られるおまじない。如何にも女の子の好きそうなこと、可愛らしくもあるが馬鹿らしい話だと、その時は適当に笑って聞き流した。けれど今なら。
(今度、ひとつ試してみましょーかね)
 だってまだ当分、飛んでいける予定が立たないのだ。せめて夢の中でくらい、好きに通わせてもらいたかった。

 

19.難波潟短き芦のふしの間も あはでこの世をすぐしてよとや

「会いたかった」
 近頃滅多に聞かなくなった、切羽詰まった声だった。言うなり締め上げるような強さで抱き込まれて、僅かの間息が止まる。拘束が少し緩んだと思えば、今度は強引な口づけが降ってきた。
 いくら人目を避けた廊下の片隅だと言っても、いつ誰が通るかわからない場所。両腕で必死に胸板を押し、抵抗を示してはみたものの効果のほどは疑問だった。息継ぐ暇も与えられず、離れてはまた角度を変えて、何度も。
「……は、ふ」
 いい加減息苦しさに耐えかねて、ぐいと力を込め押しやりやっと解放された。遽しく酸素を補給しながら、少しだけ眦を上げて睨みつける。
「ごめん、やり過ぎた」
「…………謝るくらいならやるんじゃないよ」
 盛大に文句を言ってやろうと思ったのに、先に謝られてしまって挫かれた。それでも一応、控えめな抗議だけは忘れない。言われた方はもう一度ごめんと呟いて、今度は苦しくない程度に包まれる。
「こんなとこで、誰か来たらどうすんのさ」
「お邪魔だと察して出てってくれるだろ」
「あのね、あたしたちは仕事で来てるんだよ? 二人して大事な会議抜け出して、何やってんだって話になるじゃないか!」
「何ってそりゃあ、逢い引き?」
「だから、逢い引き? じゃなくてねぇ……」
 そういえば随分会っていなかった。声を聞くのも久しぶりだ。こうやって抱き締められるのは嫌いじゃない。だからきっと、こんな状況でなければ嬉しいけれど。
「しょーがねーでしょ。今を逃したら次いつ会えんの? 終わっちまったらゆっくり話すだけの暇もないってのに」
「それは、……そうだけど」
 確かにこうでもしなければ、プライベートな話をしている余裕はなさそうだった。ましてや触れ合う時間など。
「おまえがこんな側にいるってのに、遠目に顔合わせるだけで仕事の話だけして過ごせっての? それなんて拷問よ」
 本当は今すぐ抱きたいくらいなのに。
 耳元で低く囁かれて、心臓がどくんと飛び跳ねた。

 

20.わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢わむとぞ思ふ

 シルヴァラントとは、一体どんな場所なのだろうか。僅かに漏れ聞いた限りでは、このテセアラとさほどの差はないようにも思われる。だがそれはあくまでも世界そのものの構成についての話であって、海があり、空があり、大地があってそこに人々が住み暮らしているという、それだけのことだ。人里を少し離れれば、魔物の群れがそこら中を徘徊しているという一事だけでも大変な環境だろうと想像がつく。そんなところに一人、送り込まれた彼女は今頃何をしているだろう。
(やっぱ、無理にでも止めさせればよかったか)
 形振り構わず、絶対に行くなと言っていれば。或いは行けないように手を回せば、安全な所にいてくれただろうか。
(まあ、そう簡単にはいかねーよなぁ)
 以前からその傾向はあったけれど。二人の関係を解消してからというもの、彼女は頓に危険な仕事ばかりを選びたがるようになった気がする。まるで死に急ぐようなその姿が、ひどく不吉に思えてならなかった。
(だからって今更、俺に何ができるっての?)
 自惚れがもしも許されるなら、確かに一時だけは、己は彼女を生に繋ぎ止める楔であり得たのかもしれない。でもそれももう終わり。幸せになって欲しいと願ったけれど、笑っていてくれるようにと祈ったけれど、それが叶わないからといって、じゃあ誰を呪えばいいのだろうか。
(そりゃあ勿論、他でもない俺さま自身なんでしょーよ。ばっかじゃねぇの)
 何もかも全て、今更だ。彼女のいない世界の切なさ侘しさに耐えかねて、会えない代わりせめて安否が知れたならと余計な綱渡りに手を出した。クルシスに与しながらレネゲードにも通じるなんて、いずれ破綻して身を滅ぼすのが見え透いた薄暗い未来。俺さまにはちょうどお似合いの、なんともお粗末な話じゃないか。

 ああそれでも、今はただ無事に帰ってくれさえすれば。
(神子の暗殺なんて、できなくていい)
 もう一度、君に会うことができたなら。

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