011 - 015

11.わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまのつり船

「ま、俺さまに限って滅多なことはねぇと思うんだけどなー。それでもなんだ、もしも万が一ってことがあったら、そん時は、よ」
 目を合わせず、顔も見ぬまま、背中合わせに言葉を紡ぐ。
「あんたが代わりに伝えてくれ。さよならと、……黙っててごめん、ってな」
 できるなら告げずに済ませたい、それは愛する人への別離と謝罪。それでも一世一代の博打を前に、託さずに行くのは恐ろしかった。だってもしものことがあったその時に、何ひとつ残してやれなかったら彼女はなんと思うだろうか。
「多分あいつ泣くだろーからさ。あんたが……まあ息子の方でもいいけどよ、とにかく責任持って慰めてやれよな」
「……わかった、伝えよう」
「ああ、頼んだぜ」
 いけ好かない四千歳の天使サマが、しっかりと請け負ってくれたのだからこれで保険は万全だ。こいつのことは全くもって好きではないしこれからだってそうなれやしないが、遺言めいた思いを託す相手としては、一応それなりに信用できる。
 用件が済めば長居は無用。最後まで顔は合わせずに、背を向けたまま雪降る街へと踏み出した。
 
 愛してる、は伝えない。
 それは是が非でも生きて戻って、この口で直接言わねばならない言葉だから。
 死者からの伝言では重すぎる。そんなもので縛りつけることだけはしたくなかった。

 

12.天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ

 ひらり。ふわり。
 桃色の帯が、静かに軽やかに空を舞う。
 華やかな衣装ではなく、化粧もなく、見慣れた普段着に結い上げ髪の、何ら変わりないいつもの姿。静まり返った夜の広間に、見守る観客はただひとり。だがそれでも、ミズホの里に伝わるという、優雅な舞は美しかった。

「はい、これでおしまい」
 すっかり見蕩れてしまっていたらしく、気づけば舞は終わっていた。言われてはっと我に返ると、目の前のしいながぺこりと小さく礼をして、照れたような笑みを浮かべている。
「や、驚いた。なかなかどーして、様になってたじゃないのよー。あれだな、ミズホ文化ってのはいーもんだな」
 踊りの一種だというから、舞踏会でやるダンスか、はたまた宴会芸のようなものかと思っていたら。意外にもそれは、神聖ささえ感じるような、何か引き込まれる力のあるものだった。指先のひとつひとつにまで、神経を使った細やかな動き。どれも緩やかで優しげなのに、決してか弱いばかりではない凛とした雰囲気が印象的で、彼女の真剣な眼差しが尚、色を添えているように思われた。
「本来は神社に奉納するためのものだからね。あたしも昔、里の祭りでやったんだ。随分前だから忘れてるかなと思ったけど、意外にちゃんと覚えてるもんだねぇ」
 笑いながら言うしいなは、もうすっかりいつも通りで。先程感じたあの艶やかさはどこへやら、不思議なほどの豹変ぶりに何故だか笑いが込み上げる。
「なんで笑ってるんだい? あたしに舞なんて似合わないとでも言いたそうだね」
 目敏く見咎めて睨んでくるしいなに、慌ててひらひらと両手を振って弁解する。
「いやいやいや、そんなことないぜ? あんまりキレーだったからホントにしいなかなって思わず不安になっただけ、ってぇ!」
「殴るよ!」
「もう殴ってるじゃないのよー……」
 残念ながら事態は悪化しただけのようだが、まあそれはそれとして。
「今のってさ、なんか謂れとかあんの?」
 ふと浮かんだ疑問を口にする。
 一度見ただけでは仔細までは分からなかったが、なんとなく、背景やら物語やらがありそうな感じに思えたのだ。
「謂れ、ねぇ……。そういえば、昔の偉い人がどこかへ出かけていった時に、天女が舞い降りてきて踊ったっていう話があるんだけど、それに見立ててるって聞いたことがあるね」
「へぇ……。じゃあ、おまえは天女の役をしたってわけか」
「そう言われるとなんだか恥ずかしいけど……そういうことになるかもね」
 人ならざるものを模したなら、なるほどあの神聖さも頷ける。納得して口を開きかけたが、話にはまだ続きがあるようだった。
「天女は舞を舞ったあと、雲の道を通ってまた天へ帰って行くんだってさ。雲の間の道なんて、ちょっとロマンチックじゃないかい?」
「……それ、困る」
「え?」
「困る。ロマンチックだろーがなんだろーが、それは俺さまが物凄く困る」
「え、えぇ?」
 わけが分からないと言いたげに、目を白黒させるのも構わず引き寄せる。暴れられる前にそのままぎゅうっと抱き締めて、逃がさないように閉じ込めた。
「ちょ、ゼロス、何っ……!?」
 ほら、案の定。
 今更そんなに藻掻いてみたって、もう捕まえたから放さない。
「帰っちゃ駄目」
「……へ?」
「まだ帰んないでよ、天女さま」
 耳元に、悪戯めかして囁いたら。
「…………ばか」
 こんな時間から帰りゃしないよ、と。
 たっぷりの沈黙のあとに一言、愛しい答えが返ってきた。

 

13.筑波峰の峰より落つるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる

 始まりは、ほんの些細なことだった。

 一体何が気に入ったのか、唐突につきあってくれと迫られて。にべもなくきっぱり断った後も態度には一切変わりなく、その気もないのにつきまとわれて、迷惑だの邪魔だのアホ神子だのと好き勝手に散々罵って、それでもめげない相手にはただただ辟易するばかり。最後にはいい加減根負けして、そんなに言うならと了承した。何が目当てかは知らないけれど、暫く相手をしてやればそのうち飽きてくれるだろう、そんな風に思っていた。

「よ、お疲れさん。今帰り?」
「……ああ、そうだけど。あんたこそどうしたのさ、こんなところに用事かい?」
「もっちろん、用がなきゃわざわざ精霊研究所なんかに来ないっしょ。俺さまはハーフエルフじゃないんだし?」
「珍しいこともあるもんだね。それなら取り次ぎくらいしてあげようか? 済んだらあたしは帰るけどサ」
「いやいや、中に用があるってワケじゃないのよ」
「用事があって来たのに、中にはないって……どういうことだい?」
「ま、気づかない辺りがしいならしいよな。さってと、それじゃ行きましょーかー」
「行くって、どこへ? っていうか用事は?」
「行き先はしいなの宿舎。暗い夜道を一人で帰るしいなちゃんを、しっかりばっちりガードして送り届けてあげるのが俺さまの用事、ってな」
「……ついでにディナーのお誘い、とか?」
「いんや? 宿舎で食事出るっしょ、それに門限あるんじゃなかったっけか」
「うん、まあ確かに。でもそれじゃあ、……なんで?」
「だから、宿舎まで送って行く為に来たんだって」
「それだけの為に?」
「そ、それだけの為に」
「…………」

 それじゃ行こうかと差し出された手を、反射的に取ってしまってから慌てて引っ込めたのを覚えている。多分その時のあたしの顔は、面白いくらいに真っ赤だったのだろう。いきなり引っぺがされた掌とあたしの顔とを見比べて、取りようによってはかなり失礼なその振る舞いを咎めもせずまた傷ついた風もなく、あいつは楽しげに笑っていたから。
 そうして夜のメルトキオを、二人並んで歩いて帰った。そりゃあ上流区ほどに治安がいい場所ではなかったけれど、大して遠くもない道のりを送ってもらうのはなんだかとても照れくさかった。宿舎に着けば着いたで、玄関ホールまで入るのを見届けてから、それじゃあとあっさり別れを告げられた。部屋に上がらせろとか、おやすみのキスしてとか、そんなことを言われるんじゃないかと身構えていたのが拍子抜けするくらい、誠実に紳士的に微笑んで。半ば放心したままで、去りかけたその背中に『気をつけて帰りなよ』と叫ぶのが、その時のあたしの精一杯だった。

 それから後も、あたしの帰りの遅い日には、あいつの迎えが待っていることが度々あった。送ってくれるだけじゃ悪いから、どこかにつきあおうかと申し出たこともあるけれど。その度に、『そんな下心でやってるワケじゃないし』なんて軽く流された。昼間のデートになら何度となく誘われたし、応じたこともいくらもある。けれど二人の"おつきあい"が終わるその時までも、日が落ちてから連れ出されることは終ぞなかった。
 隠密の主な活動時間が夜であることも、あたしがそれなり以上に腕の立つ人間だということも、あいつはちゃんと知っていた。それなのに夜道の一人歩きは危ないから、なんて。今思うと我ながら笑ってしまうけれど、あの頃はそんな不器用な優しさや誠意がこそばゆくて、そしてとても嬉しかった。
 仕方なくつきあっていたはずなのに、気がつけばそんな小さなことの積み重ねがとても大切なものになっていて。ああこれが恋なんだと、初めて抱き締められたその日にやっと理解した。

 やがて予期していた破局が訪れて、忘れなければと何度も思った。けれどいつしか、淵のように積もり溜まった思いは容易に消すこともできないままに、今も尚少しずつ濁り澱んでいく。

 

14.陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れ染めにし我ならなくに

 邸内の花瓶に生けられた花の色。街で見かけた娘の髪を彩るリボン。懐かない野良猫の唸り声に、月のない夜の闇さえも。
 何故そんなにと、我ながら笑ってしまえるくらいに思い出す。ふとした瞬間、見慣れすぎた姿が頭に浮かんでは離れない。彼女の持っていた色、形、細かい仕草、思い起こさせるものは探さなくとも其処此処に溢れている。
(忘れちまった方が楽なのになぁ)
 誰かといれば、他の何かを考えていれば。思い出さずに済むからと、自然出かける機会が増えた。交友関係は浅く広くなるばかり、激しくなった女遊びに眉を顰められることが増えようとも、今更止めることもできない。
(だって一人でいたら、思い出すから)
 忘れられないならせめて、未練などないように装わなければ。
 街で行き会ってももう、ただの知り合い。顔を合わせることがあったとしても、特別な関係ではないのだから。
(ま、そんなコト念じてる時点で、十分未練だらけなんだけどな)
 苦笑いで自嘲して、深々と溜息を吐き出した。

(……おまえのせいだよ、しいな)
 思い乱れる心の内を、未だ忘られぬ嘗ての恋人に押しつけて。
 ほんの僅か、甘く苦い追憶に酔う。

 

15.君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ

 不意に顔を見たくなった。一度そう思ってしまうと矢も楯もたまらず、夕刻までには戻るからと誰にともなく言い訳をして、山積みの書類達を置き去りのままレアバードに飛び乗った。

「うひゃー、風がつめてぇなー」
 暦の上では一応、もう春ということになるのだけど。だからといってすぐにぽかぽか陽気の穏やかさがやってくるはずもなく、まだまだ寒気厳しい日は続きそうだ。
「っと、到着~」
 邪魔者のない空の旅。逸る気持ちも手伝って、フルスピードで飛ばせば目的地はさほど遠くない。流石にもう雪化粧はなくなった馴染んだ景色、いつもなら中央の広場に降りる所だが。
(あれ……もしかして)
 集落から少し外れた、開けた空間。一面の緑に覆われた野原に、遠目でも間違いようのない人影がひとつ。ぐるりと旋回しつつゆっくりと高度を下げていけば、落とした影に気づいたらしく上空を見上げ手を振る姿。答えるようにこちらも大きく手を振って、そのまま少し距離を取って着陸した。
「久しぶり」
「だな。俺さまに会えなくて寂しかった?」
「来て早々馬鹿言ってんじゃないよ」
 低く生い茂る草を踏み分けて、歩み寄ってきたしいなが言う。相変わらずの遣り取りが、何よりも心地良くて自然と笑顔になってしまう。
「俺さまは寂しかったけどなぁ」
 だから会いたくて飛んで来ちゃった。
 たまには素直な気持ちを伝えてみたら、しいなは目を丸くして頬を染めて、それからふわりと笑ってくれて。伸ばした手に逆らわず、身を寄せてくれるのが愛おしい。これが欲しくて堪らなかった。会いたくて、触れたくて、代用の利かないたったひとつにいつだって飢えてしまっているから。
「……あたしも、会いたかったよ」
 幾分照れの混じった笑顔で、打ち明けられたのは同じ思い。堪らず抱き締めようとしたのを制されて、代わりにほら、と足下の方を示される。
「これは?」
「見ての通りだよ」
「草の入ったカゴ、に見えるな」
「そ。摘んでたんだよ、今」
 そんなもの摘んでどうするんだろうと、思ったのがそのまま顔に出ていたらしい。寄り添ったしいながくすくすと笑う。
「これはね、全部食べられる種類なんだ。春の七草っていってね、これをお粥に入れて食べると邪気を払えるんだってさ」
「へー、こんな原っぱに生えてるモンが食えるんだ……」
「この一年の無病息災を願って、こうして摘んで食べるのが慣わしなんだよ」
「ムビョーソクサイ?」
「病気しないで健康でいられること」
「なーるほど」
 こんな草が食べられることにも、それが病気を退けるということにも興味を引かれて、屈み込みカゴの中身を覗き込む。指先でつまみ上げたものはやっぱり雑草にしか見えないが、それでもそう言われればそこらの道端に生えているものとは何やら違っているようにも思われた。
「まあ、だから、さ」
「うん?」
「それ、摘み終わったら……行こうかなって、思ってた」
 恥ずかしそうに言うしいなを、屈んだまま見上げてにやりと笑う。
「俺さまの健康祈願の為に? それとも、ただ会いたかったから理由づけで?」
 どっちでも嬉しいから、尚更聞きたい。そう思っての問いは、ばーか、と小さく往なされて。
「……両方、だよ」
 返された答えはどちらとも違って、もっと嬉しい予想外だった。どうしようもない不可抗力で、緩みきった笑みが溢れてしまう。多分格好悪いと思う、でも幸せなんだから仕方ない。
「両方、か」
 呟いて手元に落とした視線の先、はらはらと舞い落ちてきたのは白い一片。
「雪……、だね」
 かけられた声に、気遣わしげな色。
「風流だな、こーいうのも」
 目の前に広がるのは銀世界ではなくて緑の絨毯。隣に寄り添う優しい温度は、倒れることもなくずっと側に。大丈夫、もうこの胸は騒がない。
 もう一度、穏やかに笑って、それから。
 両手を伸ばして、引き寄せて。欲しかったぬくもりを、心行くまで抱き締めた。

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