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1.秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ

「あー、さっみぃ……」
 誰にともなく呟いて、小さく身を震わせながら焚き火をつつく。その瞬間だけはぱっと炎が盛り上がるけれど、皆寝静まっているこの時間に、あまり火を大きくするわけにもいかない。割り当てられた見張りの時間はあと半分ほど、一番冷え込む明け方の担当を免れただけ幸いだったと思うべきか。
(あとどれくらい進んだら雪になんのかね、こりゃ……)
 繁栄世界テセアラでは、旅業を推奨するマーテル教の影響下にあってもあまり辺境までは足を伸ばさない者が多い。神子の自分でもそれは同様で、公式なものとなれば数多の護衛が付き従う大事なだけに、結局はそこそこの大都市にしか赴かない。だから当然、こんな名もない集落が点々とあるだけの辺境の気候など知っていようはずもないわけで。
(しっかし……こんなトコで野宿だなんて、みんなよく眠れるもんだわ)
 実際の季節がどうかはともかく、肌で感じる空気は間違いなく晩秋から初冬のそれだ。今は大陸を北上しているのだから、進路を大きく変えない限り、この先進むほどに寒くはなっても逆はないだろう。現にほら、何気なく地についた腕の先、知らぬ間におりた夜露がグローブに染み込み掌を濡らす。持ち上げてひらひらと降ってみたが、それくらいで乾くわけもなく、ただひやりとした感触があるだけだった。
「……くしゅっ」
 不意に聞こえた、小さなくしゃみ。
 音のした方を振り向けば、毛布にくるまってもぞもぞと身動ぐしいなの姿がそこにある。そのまま暫し眺めていれば、何やらむにゃむにゃと寝言を漏らし、続いてくしゅん、ともう一度。
(そーいや、こいつ寒いのダメなんだっけ)
 ずっと火の側に居る自分でも寒いのだ。さして厚くもない毛布一枚では、いくらしっかりと巻き付けたところで寒かろう。
(……風邪でも引かれたら、困るしな)
 そう、こんな所で体調を崩されたら困るから。集落に辿り着けてもまともな宿があるかも知れない、こんな寒くて娯楽のひとつもない場所に長く足止めされては御免だから。
 あれこれと頭の中で理由をつけて、頭を掻きながら立ち上がる。誰も見てなどいないのに、妙にばつが悪い気がするのは何故だろうか。
「……寝てる、よな?」
 膝に抱えていた毛布を手に、眠るしいなの元へと歩み寄る。覗き込んで静かに問うても、返ってきたのはすやすやと安らかな寝息だけ。ほっと息を吐いた途端、もう一度くしゅんと音がして密かに心臓が飛び跳ねた。けれどそれきり、やはり起きる気配はないままで、再び胸を撫で下ろす。
(そのまま、起きるなよー……)
 広げた毛布をふわりと被せる。起こさぬように注意しつつ、軽く巻き込むようにしてやってから手を放した。よし、大丈夫まだ起きる様子はない。
 少しは温かくなったのか、眠るその表情がやや柔らかくなったような気がする。それを確認してなんとなく満足した気分になって、火の側に戻り腰を下ろした。

 肌寒い夜はまだ長い。それでも朝は、確実に近づいて来ているはず。早く眩しい太陽が、穏やかな光と熱を連れてくるといい。

 

2.春すぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山

 久しぶりの里での休暇。天気にも恵まれたことだからと、予てからやらねばと思っていたそれをすることにした。

「おーおー、壮観だねぇ」
 やっと一通りの仕事が済んで、一休みとばかりに伸びをした頃。
「なんだ、あんたも休みだったのかい? 来るんなら連絡入れれば良かったのに」
 勝手知ったるなんとやら、遠慮なく庭に入ってきたらしい男の声に、こちらも気軽に言葉を返す。生憎と今日はお茶菓子は出ないよと、笑って振り向けば予想通りの顔があった。
「いやいや、ちょっとおまえの顔見たくなって寄っただけだから。夕飯食ったらすぐ帰るぜ」
「お茶の前から夕飯の催促とは図々しいねぇ」
「いいじゃないのよー、しいなの手料理はここでなきゃ滅多に食えないんだしー」
「まあいいけどね、二人分作るも三人分作るも大差はないしさ」
 わざわざ遠いミズホにやってきてまで、所望されれば悪い気はしない。幸いやるべきことは済んだ所だし、お茶くらいは出してやろうかと庭用の下駄を脱ぎ縁側に上がる。
「お茶入れて休憩にするから、あんたも玄関から回って来な」
 そう声をかけ、奥へと引っ込もうとしたら。
「あ、ちょい待ち」
 呼び止められて立ち止まり、振り向いて首を傾げる動作で何かと問う。するとゼロスは、眼前に広がる光景を指し示し。
「あれってさ、やっぱり衣替えってヤツ? もうそんな季節なんだなー」
「そうだよ。ちょうどいい天気だからね、今日を逃したらまた暫く時間も取れないだろうし。ま、あたしはそんなに衣装持ちじゃないからまだ楽だけどね」
 晴れ渡る青空の下、はためくのは色とりどりの夏衣。季節柄淡く涼しげな色が多いが、やはり目立つのはぱっと目に鮮やかな純白の色。
「青い空に翻る真っ白の洗濯物、コントラストがまた見事だなー」
「……そうだねぇ」
 何やら感慨深げに頷くのを、眺めて微笑ましく見守った。

 

3.足びきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ

 いつの間にか、隣に居るのが当たり前になってしまっていた。
 だからふとした瞬間に、傍らの空白に気づいては切ない疼きを胸に抱く。
 分かってる、もう会えないワケじゃあるまいし、本当に耐えかねたなら何もかも放り出して行けばいい。そうしても拒絶されないことは知っているし、事実彼女はいつだって、怒っても呆れても嘆いても、結局は"しょうがないね"と緩く笑って、ちゃんと出迎えてくれるのだから。
 ああだけど、わかっている、けど。
 
(会いたくて、会えなくて、思いばかり募るこんな夜には)
 
 浅い眠りから目が覚めて、腕の中に君が居ないと痛いほど思い知る長い長い夜には、きっと。
 君もひとり、この切なさを感じていますか。
 
 
(本当は片時も離れたくない、なんて、な)

 

4.田子の浦に打ち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ

「まさか本当に作っちゃうとはねぇ」
「ね、それもこんなに早くできるなんて、びっくりだよね!」
「全くだよ。ほんっと、器用なもんだね」
「なぁハニー、これ本当に大丈夫なのか? 素人の手作りだからって沖に出てから沈んだりしないだろうなー?」
「ちょっとゼロス! 縁起でもないことを言わないでちょうだい!!」
「二人とも、大丈夫だって! 安全性は親父にしっかり検証して貰ったからさ」
「それよりも、コレットが転ばないように気をつけた方がいいんじゃない? 船底に穴が空いちゃったら流石に沈んじゃうだろうからねー」
「それは、ちょっと怖いです……」
「コレット! コレットお願いだからじっとしていて、動かないで、いいですね!?」
「は、はい先生っ」
「大丈夫だリフィル、このレザレノ社製の新型ライフジャケットを着けてさえいれば溺れはしない」
「大袈裟だねぇ……。そんなに心配しなくても、いざとなったらウンディーネ喚んで助けてもらうから平気だよ」
「そういう事態になりたくないから言ってるんです!」
「もー、姉さんちょっと落ち着きなよー」
 
 
「……あ、ねえゼロス」
「んー? なによ、嬉しそうな顔して」
「ほら。フウジ山岳のてっぺん、雪が降ってる」
「…………あぁ、そーだな」
「綺麗、だね」
 
「……まあ、確かに、な」

 

5.奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞くときぞ秋は悲しき

 さくりさくり、乾いた葉を踏み締める音が辺りに響く。忙しい合間を縫って確保した休日、深まる秋を堪能しようと、出向いた山奥の紅葉は見事だった。
「ミズホでは秋の紅葉と春の桜を見るのが一番の楽しみでね、お弁当作ってみんなで出かけて、木の下にござ引いてそこで宴会するんだよ。まあ、宴会として派手なのは春の方なんだけどさ、紅葉はこうやって静かに眺めるのもなかなかいいだろ?」
 珍しく饒舌に解説してくれているのは、やはり機嫌がいいからだろうか。ゆったりしたペースで歩みながら、鮮やかな景色に目を奪われては嬉しげに微笑む姿を横目で見る。紅葉も確かに素晴らしいけれど、どちらかというとおまえを愛でるのに忙しい、なんて言ったらきっと殴られるから言わないでおく。
「あ、鹿だ」
「ん? いたのか?」
「ううん、鳴き声だよ。ほら、また聞こえた」
 言われて耳を澄ましてみれば、遠くから谺する奇妙な音。鳴き声というより笛のようでもあり、なんとも不思議な感じがする。
「鹿ってこんな風に鳴くのか……」
「秋だーって感じだねぇ」
「そーかぁ? 別に秋っぽい鳴き声じゃねー気がするけど」
「鹿はこの時期が発情期なんだよ。ああやって番になる雌を呼んでるんだってさ」
「へー……」
 秋はもの悲しいよねぇ、などとしみじみしているしいなを見つつ。
「おまえはどーやって呼んだら来てくれんのかねー……」
「ん? 何か言ったかい?」
「いーえ、なーんにもー」
 俺さまもそろそろ、番う相手が欲しいなあ、なんて。

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